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“PRIDE史上最悪の大乱闘”から始まったシウバとジャクソンの因縁…「エプロンに血だまりが」カメラマンも戦慄した“残酷なKO”が生まれるまで

posted2023/06/10 17:00

 
“PRIDE史上最悪の大乱闘”から始まったシウバとジャクソンの因縁…「エプロンに血だまりが」カメラマンも戦慄した“残酷なKO”が生まれるまで<Number Web> photograph by Susumu Nagao

2004年10月の『PRIDE.28』、ヴァンダレイ・シウバとクイントン・“ランペイジ”・ジャクソンの2度目の対戦。この直後、衝撃的なKOシーンが生まれた

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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Susumu Nagao

罵り合い、殴り合い、やがて一方が力なく崩れ落ちる――PRIDE全盛期、ミドル級の頂点を争ったヴァンダレイ・シウバとクイントン・“ランペイジ”・ジャクソンの抗争は、その激しさと凄惨さで格闘技ファンを戦慄させた。15年にわたる両者の因縁を、フォトグラファーの長尾迪氏が回想する。(全2回の1回目/後編へ)

 両手で相手の首を固定し、膝蹴りの連打。5発目が顎を直撃すると、手ごたえを感じたのか、自ら両腕のロックを解除した。敗者の意識は飛び、前のめりにロープとロープの間に頭から崩れ落ちた。顔面からの出血でエプロンサイドには血だまりができるほどのフィニッシュだった。「壮絶」というよりも「残酷」という表現の方が適切ではないかというほど、痛みが伝わる衝撃のKOシーンだった。

挑発されたシウバがブチ切れ…PRIDE史上最悪の大乱闘に

 勝者の名はヴァンダレイ・シウバ、敗者の名はクイントン・“ランペイジ”・ジャクソンという。両者は当時のPRIDEミドル級(現在の階級ではライトヘビー級)を代表する強者だった。最強は自分だという矜持を持つ2人の対戦は、試合前からヒリヒリとした緊張感を漂わせていた。「因縁の対決」「運命の対決」ともいわれ、団体もメディアも犬猿の仲である2人の関係性を煽り、より一層この対戦を盛り上げてゆくようになった。

 いまでは試合前の選手によるTwitterでのトラッシュトークは当たり前のことになった感がある。しかし、当時はSNSなどがなく、リング上での対戦アピールや試合後のインタビュースペースなど、発言の場は限られていた。

 そもそも、なぜ両者の仲はここまでこじれたのか。

 最初に仕掛けたのはジャクソンだった。2003年3月の『PRIDE.25』で、ミドル級王者シウバへの挑戦権をかけたケビン・ランデルマン戦に勝利。試合後、ジャクソンは「おい小僧、リングへ上がってこい」「俺のためにベルトを磨いておけ」とマイクアピールした。

 これにブチ切れたシウバがリングに上がるやいなや、ジャクソンを突き飛ばす。またたく間に、両陣営が入り乱れたPRIDE史上最悪の大乱闘に発展した。セキュリティやスタッフが止めに入るものの、騒ぎはしばらく収まらなかった。トップファイター同士のバチバチの乱闘は、突発的なアクシデントならではの危険な香りがしたことをいまでも鮮明に覚えている。そして、この乱闘をきっかけに2人の“因縁”は10年以上も続くこととなった。

【次ページ】 合計22発の膝蹴りで地獄を味わったジャクソン

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