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中村憲剛&曽ヶ端準、18年以上「ワン・クラブ・マン」は史上7人だけ…2020年引退した“仕事人”列伝
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byKiichi Matsumoto/Toshiya Kondo
posted2021/01/19 11:02
2020年オフ、多くのプロサッカー選手が現役を引退した
海外では、ライアン・ギグスが24年間(90-14)、マンチェスター・ユナイテッドでプレーしている。また、パオロ・マルディーニは25年間(84-09)もACミランでプレーし、フランシスコ・トッティもASローマで24年間(93-17)、プレーした。彼ら2人は欧州のクラブの中でも最長の部類に入るが、曽ヶ端の23年間は、圧倒的な長さであることが分かる。
今は、若い選手が続々と海外に出ていく時代だ。また、自分を高く評価し、必要とされているチームに移籍することはプロとして当然である。だが、中村や曽ヶ端のようにクラブの中でその変化やいろんな監督の下で自分の成長を経験しながら生きていくのもサッカー選手として幸せな在り方だろう。長く、1つのクラブでプレーし続けることは簡単なことではないが、それをやり遂げたからこそ彼らはクラブの顔になり、欠かせない存在になった。2人は1つのクラブでプレーし続けることの素晴らしさを教えてくれた。
「淡々と」プレーする選手たちも…
いぶし銀で、チームに「効いているなぁ」と思う選手の引退もあった。
徳永悠平(37・V・ファーレン長崎)と前田遼一(39・FC岐阜)である。
徳永は、ディフェンスのユーティリティプレイヤーで本職のサイドバック、センターバックに加え、ボランチまでこなす器用さを見せ、18年間(J1・J2リーグ戦通算464試合9得点)プレーした。派手さはないが、いわゆる非常に気の利いた守備ができる選手で、FC東京時代は監督以上に選手たちに頼りにされていた。ロンドン五輪はオーバーエイジ枠で起用され、吉田麻也とともに守備の安定に寄与し、ベスト4進出に貢献している。出しゃばらず、黙々とプレーする姿勢にロンドン五輪世代の選手たちは尊敬の念を持ち、「悠平さんがいたから勝ち上がれた」と清武弘嗣たちは語っていた。
出しゃばらずに黙々と淡々とプレーするところは、前田も似ている。
前田がプロデビューを果たしたのは2000年。その頃のジュビロ磐田には、中山雅史と高原直泰という日本サッカー史上最強ともいえる2トップがいた。熱く、コメント力がある中山とギラギラ感を隠さない高原とは異なり、冷静で物静かな前田は派手さや迫力に欠けた。だが、年々、ピッチでの存在感が大きくなり、09年、10年には得点王に輝くなど、磐田で二人の跡を継ぐストライカー(J1・J2・J3リーグ戦通算535試合180得点)へと成長した。
何度か取材させてもらったが、「もう大丈夫ですか?」とこちらの撮れ高を気遣ってくれたのは、城彰二と前田だけだった。磐田のユースのコーチに就任したが、理論派ゆえに質の高いストライカーを育成してくれるだろう。