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中村憲剛&曽ヶ端準、18年以上「ワン・クラブ・マン」は史上7人だけ…2020年引退した“仕事人”列伝 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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photograph byKiichi Matsumoto/Toshiya Kondo

posted2021/01/19 11:02

中村憲剛&曽ヶ端準、18年以上「ワン・クラブ・マン」は史上7人だけ…2020年引退した“仕事人”列伝<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto/Toshiya Kondo

2020年オフ、多くのプロサッカー選手が現役を引退した

降格直後、ハンドマイク片手に「J1昇格」を約束

 現役生活の中で「男気」を見せてくれたのが、佐藤寿人(38・ジェフユナイテッド市原・千葉)だ。

 2000年ジェフ市原でプロ生活をスタートさせ、その後、セレッソ、仙台と渡り歩く。仙台は2003年にJ2に降格するが、佐藤はJ1のクラブからのオファーを断り、残留。翌2004年にチームは6位に終わったが44試合で20得点を挙げる活躍を見せた。

 広島では2007年にJ2に降格するも入れ替え戦直後にハンドマイクを持ち、1年でJ1に戻ることをサポーターに約束し、残留をいち早く公表。これが主力選手の流出を防ぐことにもなった。結果、翌年は得点王になってチームをJ1に昇格させている。12年には広島のJ1優勝に貢献、その年のJリーグアウォーズでは得点王(22得点)、MVP、ベストイレブン、フェアプレー賞の4冠に輝いた。その後、名古屋を経て、19年に09年にJ2に降格後、なかなか這い上がれない古巣の千葉に還ってきた(J1・J2リーグ戦通算560試合220得点)。

 降格の際や何かあった時に、佐藤から発せられるメッセージに救われたファンやサポーターは多かったはずだ。ニュートラルなバランス感覚に優れ、どんな人に対してもフェアに、かつ丁寧に対応する姿勢は、アスリートとしてはもちろん、人としても非常に魅力的だった。

個性派選手たちも……

 彼ら以外にも多くの選手がユニフォームを脱いだ。

 内田篤人(32・鹿島)は曽ヶ端同様に鹿島イズムを体現できる存在(J1・ドイツリーグ戦通算254試合4得点)。すでにアンダーカテゴリーの代表のコーチ業をしているが、戦術的な思考を深めさせるのはもちろん、海外でのプレーを欲する若手に世界で必要なことを厳しく、正しく伝えてくれそうで、適任だと思う。

 現役引退で意外だったのは、井上裕大(31・FC町田ゼルビア)だ。

 大分ユースの出身で、同期の清武とは親友の間柄。小さい体だがボランチとしてチームの舵取りを任され、大分、長崎、町田でプレー(J1J2リーグ戦通算249試合12得点)してきた。まだ、31歳で十分プレーできるはずだが、自らユニフォームを脱ぐことを決めた。

【次ページ】 ピッチを去る全選手に「お疲れさま」を

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