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中村憲剛&曽ヶ端準、18年以上「ワン・クラブ・マン」は史上7人だけ…2020年引退した“仕事人”列伝

posted2021/01/19 11:02

 
中村憲剛&曽ヶ端準、18年以上「ワン・クラブ・マン」は史上7人だけ…2020年引退した“仕事人”列伝<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto/Toshiya Kondo

2020年オフ、多くのプロサッカー選手が現役を引退した

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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Kiichi Matsumoto/Toshiya Kondo

 2020年、多くのプロサッカー選手が現役を引退した。

 今回、選手の名前を見てみると派手な活躍というよりもチームをピッチ内外から支えてきた仕事人タイプが多かった。個人的には「まだプレーが可能じゃない?」と思われる選手もいたが、その背景には、例年と異なり、コロナウィルスの影響も多少あったように思われる。

 2020年シーズンは無観客や人数制限のある中で試合が行われ、スポーツ産業や興行が大きく変化していく感があった。また、コロナ禍の影響で各クラブの経営状態が悪化し、選手等を含む人件費の圧縮が進んだ。そういう中、自分の今後や居場所について考えた結果、自ら身を引き、クラブのために、そして若い世代に次の時代を託すという思いで引退を決断した選手もいたのではないだろうか。

 だが、彼らが見せたプレーは色褪せることがなく、永遠に語り継がれていくことになる。一時代、花を咲かせた選手について振り返ってみたい。

「ワン・クラブ・マン」の勇退

 生涯ワンチームを通して引退した選手(ワン・クラブ・マン)がいる。

 中村憲剛(40・川崎フロンターレ)、曽ヶ端準(41・鹿島アントラーズ)である。

 中村は、03年に川崎Fに入団以来、18年間(J1・J2リーグ戦通算546試合83得点)、チームの象徴としてプレーし続けた。パスセンスを生かした攻撃的プレーでチームを牽引し、その明るい人柄でファンを魅了した。川崎Fが地域密着を浸透させ、明るいイメージを確立できたのはクラブの戦略でもあるが、中村個人のキャラクターが大きく貢献したのは間違いない。

 曽ヶ端は、23年間(J1リーグ戦通算533試合)、鹿島でプレーし、ジーコ直伝のスリピリッツ、“鹿島イズム”を理解する選手。チームは何度か世代交代の波にのまれ、勝てない時期もあったが、曽ヶ端はそんな時も鹿島らしさを追求し、妥協しなかった。若手の面倒見もよく、鹿島は地元ゆえに人脈も広く、曽ヶ端に公私ともにお世話になった選手は多かったはずだ。

18年以上の在籍した選手はそんなにいない?

 ワンチームで生涯を終える選手は多くいるが、中村の在籍年数の18年以上で区切ると、かなり少数派になる。

 アマチュア時代では釜本邦茂がヤンマーで18年間(67-84)プレーした。森島寛晃は18年間(91-08)、ミスターセレッソとしてセレッソ大阪(ヤンマー)でプレーし、山田暢久は浦和レッズで20年間(94-13)、森崎和幸はサンフレッチェ広島で19年間(00-18)、栗原勇蔵は横浜F・マリノスで18年間(02-19)活躍した。中村、曽ヶ端を加えても日本ではわずか7名しか存在しない。

【次ページ】 「淡々と」プレーする選手たちも…

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