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箱根駅伝「沿道応援」、“85%減”だけど“18万人”をどう見るべきか…東京五輪開催への視線は厳しくなった?
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byNanae Suzuki
posted2021/01/16 11:01
前回大会のスタート直後(左)と今大会のスタート直後。沿道応援の数は85%減少したというが、これをどう評価すべきか
熱心なファンほど“自粛”に協力したのではないか
想像の範囲を超えないが、周囲を見渡せば長年のファンほどテレビでの観戦に協力したように思える。熱心なファンは、最も沿道で声援を送りたいはずの家族や、選手をこれまで支えてきた恩師、何らかの形でサポートした人たちが応援を我慢しているその心情を考えもしただろう。
大会が無事開催されること、さらには選手、チームスタッフを思う心もそこにあったのではと感じる。
「ゼロ」は現実的ではないけれど
裏を返せば、自粛を呼びかけても沿道に駆けつける人々も一定数いた。
度重なる自粛の呼びかけにもかかわらず沿道に繰り出した姿に、「レースを大事に思っていないからだろう」と口にした人もいた。熱心なファンに抑制する姿勢があったことを考えれば、その見方も成り立つ。
今回に限らず、何事においても「ゼロ」は現実的ではないのも事実だ。スポーツに限らず、さまざまな事象がそれを伝える。さまざまな価値観を持つ人がいる以上、100か0にはならない。
ただ先に記したように、レースを長年見続け、愛着を持つ人が沿道応援を我慢し、そうではない人が駆けつけたとすれば、そこに矛盾がある感がするのも否めないし、実際、やりきれない思いを抱いた人がいる。
箱根駅伝を大切に思っているからこそ、大会や関係者を守るために行動をコントロールする人が少なくなかったことは明記しておきたい。選手やチームに近い人ほど沿道応援を控えたのであれば、来年同じ社会状況での開催となった場合、席を設けるなどして逆転現象を解決する方策も検討する余地はある。