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【追悼】トミー・ラソーダが明かしていた「私の息子」野茂英雄との“寿司とパスタ”、ノーヒッターの思い出
posted2021/01/10 16:50
text by
津川晋一Shinichi Tsugawa
photograph by
Getty Images
メジャーにやってきたばかりの野茂の目が、キラキラと輝いていたことを今でも思い出すよ。
彼はすでに日本プロ野球界で確固たる地位を築き上げていたはず。だがそれに満足することなく、さらに大きな舞台で、自分がどこまでできるか試してみたいという好奇心に満ち溢れていたんだ。
今でこそイチローや松坂大輔のように、日本のトップ選手がメジャーに挑戦することは、当たり前になった。だが当時はまだ例がなかっただけに、日米双方から期待と不安の視線が注がれていたね。
多くのメジャー関係者は“日本人が果たしてどこまでやれるんだ?”と半信半疑、いやむしろ疑いのほうが強かったかもしれない。でも、自分がなにをすべきか、野茂はちゃんと分かっていた。
ティム・ウォーラックと賭けをしていた
忘れられないのは、キャンドルスティック・パークでの初登板('95年5月2日)だ。彼が投げるたびに、場内には信じられないほどカメラのフラッシュが瞬いた。間違いなくあのとき、野茂がメジャーの大きく重い扉をこじあけたんだ。この年、“ノモマニア”という言葉が生まれた。
新聞やテレビ、雑誌であのフレーズが躍っているのを見て、私は野茂が完全にアメリカ人のハートをつかんだと確信したよ。ドジャースが遠征先に行くと、みんな野茂が投げるのを見たがった。「この球場で野茂に先発をさせてくれ」と私にお願いをしに来る人がいたほどだ。
野茂と初めて一緒にご飯を食べに行ったのは、シンシナティのお寿司屋さんだった。前月(7月15日)のマーリンズ戦で、私は内野手のティム・ウォーラックと賭けをしていた。
ウォーラックが「野茂は投手として素晴らしいけど、決して好打者ではない」と言うから、私は「では今日もし野茂がヒットを打ったら、私と野茂に食事をご馳走しなさい。打たなかったら、私がキミをもてなそうじゃないか」と言い返したんだ。果たして、野茂はこの日メジャー初ヒットを放った。だから私たちは、翌月試合で訪れたシンシナティで、ウォーラックに寿司をおごってもらったんだ。私は好物のマグロをいっぱい食べたね。