スポーツ名言セレクションBACK NUMBER
【箱根駅伝スターの葛藤】大迫傑「僕が行かなかったら…」 柏原竜二「短い駅伝なら走れたかもしれないけど」
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byAsami Enomoto(2)/Yuki Suenaga
posted2021/01/02 06:05
大迫傑、柏原竜二、吉田祐也。箱根が生んだスターはそれぞれの葛藤を胸に走った
<名言2>
監督を超える営業マンになりたいです(笑)。
(吉田祐也/NumberWeb 2020年1月4日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/842063
◇解説◇
3年生までは一度も箱根駅伝のメンバーに入れず、1年前には「大学での競技引退」を決意していたはずの男が、今や日本マラソン界の希望の星に――マンガでもなかなか描けないシナリオを、吉田は現実にしている。
2020年の箱根駅伝で2年ぶり5度目の総合優勝を果たした青山学院大が、駅伝の流れをぐっと引き寄せたのが往路4区だった。4年生の吉田祐也が初の区間新記録となる1時間00分30秒の走りで首位に返り咲き、後続との差を一気に広げたのだ。
「みんな天晴れな走りをしてくれましたけど、4区は予想よりもプラスアルファが出ました。あそこまで祐也が走るとは思いませんでしたね(笑)」
名将・原晋監督はビックリしながらも吉田の快走をこう手放しで称賛した。その前年11月の全日本大学駅伝で5区3位と結果を残していた吉田だが、2、3年生時は「チーム11番目」の評価を受け続けてきた。時には指揮官との意見の衝突があったことも認めている。それでも、最後には原監督への思いをこう口にしている。
「監督を見返したいという思いでずっとやってきたんですけど、今は下から4番目の選手をここまで成長させてくれたことに感謝の気持ちで一杯です」
吉田はその時点で、大手菓子メーカーへの就職が決まっていて、営業職志望だったという。冒頭の言葉のように、かつて中国電力で伝説の営業マンとして活躍した原監督を引き合いに出して、社会人としての目標を語っていたほどである。
しかし、人生とはわからない。原監督の勧めもあって別府大分毎日マラソンに出場して全体3位の日本人トップでゴールする好記録を残し、競技続行を決断。GMOアスリーツに加入し、2020年12月に開催された福岡国際マラソンでは2時間7分5秒の自己新でマラソン初優勝まで飾ったのだ。
元日のニューイヤー駅伝でも奮闘した吉田。2024年パリ五輪の有力ランナーの1人として、さらなる飛躍を遂げられるか。