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【箱根駅伝スターの葛藤】大迫傑「僕が行かなかったら…」 柏原竜二「短い駅伝なら走れたかもしれないけど」
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byAsami Enomoto(2)/Yuki Suenaga
posted2021/01/02 06:05
大迫傑、柏原竜二、吉田祐也。箱根が生んだスターはそれぞれの葛藤を胸に走った
<名言3>
短い距離の駅伝なら走れたかもしれないですけど、最終到達地点は個人の競技。そこができないならば、駅伝も楽しめなくなるんですよ、きっと。
(柏原竜二/Number933号 2017年8月9日発売)
◇解説◇
箱根駅伝が生んだ最大のスターの1人で、その実績に最も葛藤したはずの選手――それは柏原だろう。
見る者に衝撃を与えたのは柏原が1年生だった2009年1月2日のことだ。5区を任された柏原が9位でタスキを受けた時、先頭の早稲田大とは4分58秒差がついていた。常識で考えれば逆転は不可能な差だが、恐ろしいほどのハイペースで他校のランナーをごぼう抜きにしてトップに立った。結果、それまでの区間記録を47秒も更新する1時間17分18秒で走り抜け、東洋大に初の往路優勝をもたらした。必死かつひたむきに今を駆け抜ける姿が、人々の心を打った。
「後先考えている余裕はありませんでした」
当時の柏原はこのように語っている。しかし彼が“一発屋”でなかったことは、箱根駅伝ファンならだれもが知るところ。5区で4年連続区間賞を獲得。強い眼力と脚力で他校ランナーをぶち抜く姿に、メディアは“二代目・山の神”の称号を与えた。
そんな柏原だが、卒業後に富士通に進み、マラソンに挑戦した。だが、左アキレス腱のケガと仙腸関節炎を患い、2017年3月に引退を決意した。当時は東京オリンピックを3年後に控えている時期だった。年齢を踏まえると引退は早すぎるのではないか――そんな声もあったのが事実である。
だが、五輪は引退を撤回する理由にはならないと言下に否定していた。
「そりゃ東京まで走れていたらよかったですけど。純粋に走ることは楽しいことだと思っているので、それができなくなったら……」
迷いを抱えた時期があったのは確かだろう。それでも現在の柏原は富士通アメフト部などのスポーツ事業のサポートに携わりつつ、箱根駅伝の魅力を発信してくれている。