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岡崎慎司はビエルサのリーズに誘われていた? 滝川二高と世界的戦術家の不思議な縁とは
text by
赤石晋一郎Shinichiro Akaishi
photograph bySANKEI SHINBUN
posted2020/12/12 17:02
2003年1月、全国高校サッカー選手権準々決勝、滝川二-東福岡の後半36分、勝ち越しのゴールを決めた滝川二FW・岡崎慎司(左)
「野性味溢れるFWの選手が目に飛び込んできたのです」
「野性味溢れるFWの選手が目に飛び込んできたのです。背中を丸めて低い姿勢で走るその姿はまるで肉食動物が獲物を狙っているかのようで、常にゴールを狙っている目もいい。直感的に『こいつは凄い選手だ』と鳥肌が立ちました。それが岡崎慎司だったのです」(荒川)
強豪校である滝川二高には岡崎以上に“レベルの高い”とされる選手も多くいた。粗削りだけど野性的なFWは、そのなかでもキラリと光るものを見せていたのだ。
岡崎慎司は自著『鈍足バンザイ!』(幻冬舎)で当時をこう振り返っている。
「オマエは日本代表にもなれる!」
《荒川さんはアルゼンチン代表のビデオを見せながら、僕にフォワードとしてどう動くべきなのかを教えてくれた。
「ボールを受けたら前を向け!」「フォワードなんだから思い切り良くシュートを打つんだ!」
いつも強気なアドバイスをくれた。当時のチームに僕のようなタイプが少なかったこともあり、荒川さんは高く評価してくれた。
「オマエは日本代表にもなれる!」
当時、僕ですら想像していないことを、荒川さんは真顔で話してくれた》
同年秋から荒川はAチーム(一軍)の指導をすることになった。このとき荒川は、監督の黒田に2人の選手を推薦した。岡崎慎司と木島悠(元清水エスバルスなど。現JFL・ヴェルスパ大分)だ。黒田も2選手を高く評価し、岡崎らは抜擢される形でAチーム入りすることになる。
黒田によると荒川の指導法は選手への「リスペクト」を重視する自主性を重んじたものだったという。荒川はビエルサの教えとアルゼンチンでS級ライセンス取得時に学んだ知識の一部を、高校生にも落とし込めるようにアレンジしてAチームの指導を行った。同時に黒田の器量の大きさも見逃せないポイントである。黒田は監督でありながら「責任は俺が取るからやりたいようにやってほしい」と、ヘッドコーチの荒川にAチームの指導を一任し、チーム作りを託していた。