欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
岡崎慎司はビエルサのリーズに誘われていた? 滝川二高と世界的戦術家の不思議な縁とは
text by
赤石晋一郎Shinichiro Akaishi
photograph bySANKEI SHINBUN
posted2020/12/12 17:02
2003年1月、全国高校サッカー選手権準々決勝、滝川二-東福岡の後半36分、勝ち越しのゴールを決めた滝川二FW・岡崎慎司(左)
アルゼンチン代表が予選リーグで敗退して傷心の日々に……
「じつは黒田さんと知り合ったのはアルゼンチン時代でした。私が日系の旅行代理店でアルバイトをしていたときに、サッカー遊学でアルゼンチンに来ていた黒田さんと顔見知りになりました。02年に私が帰国した時、まず3月末に黒田さんから『滝二でやらないか』という打診を受けました。当時、私は5月に開幕するワールドカップでアルゼンチン代表のリエゾンをやることが決まっていたので、有難いお話だったのですが丁重にお断りさせて頂きました」(荒川)
日韓ワールドカップではビエルサ率いるアルゼンチン代表は予選リーグで敗退。荒川も傷心の日々を送っていた7月中旬、一本の電話がかかってきた。
「アルゼンチン代表、大変やったな、ご苦労さん」
「コーチを空けたままにしてるんや」
黒田からの電話だった。ワールドカップの余韻が落ち着いたであろうころを見計らって電話してきたのだ。黒田はその無骨な表情から戦国武将とも評されるが、実は情に厚い男なのである。
「じつはな、コーチを空けたままにしてるんや。待ってたよ。滝二の生徒を見てくれないか」
こう黒田は続けた。荒川は驚いたという。ワールドカップを終えて、次に何をするかも考えられない状態だった。電話を受けた荒川は、改めて黒田と会った。彼の育成への情熱を改めて知り、「お世話にならせて下さい」と返事をした。
荒川は黒田の誘いを受け外部コーチとして滝川二高に転じることになった。
担当は1年生のトレーニングだった。荒川はビエルサから学んだメソッドを自己流にアレンジして指導を行った。Cチーム(滝川二高の三軍チーム。滝川二高はA~Eまでの五軍制だった)を率いて草津遠征に行ったときのことだ。荒川はある1年生選手の動きに目を奪われた。