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【有馬記念】蛯名正義が語る、亡父の後押しが生んだ2001年“陰の年度代表馬”マンハッタンカフェ
text by
土屋真光Masamitsu Tsuchiya
photograph byKeiji Ishikawa
posted2020/12/26 11:04
蛯名正義はマンハッタンカフェとともにエルコンドルパサーの無念を晴らそうとしていた
ゴールの瞬間、蛯名は控えめに左手を挙げた
「その週に父親が急に亡くなってしまって。菊花賞の前は何度も実家と行ったりきたりでバタバタでしたね。なので、あの菊花賞は正直、またがるまでは少し気負っていました。それを落ち着かせてくれたのは、(小島太)先生の『おやじがついてるからな』というひと言。特に指示とかはなかった。でも、いろいろ頭のなかで駆け巡っていたものが、すっと落ちた気分になりました」
やや後方に位置取ったマンハッタンカフェは、2周目の3コーナー付近から徐々にポジションを押し上げ、直線半ばで逃げ粘るマイネルデスポットをとらえてゴールに飛び込んだ。ゴールの瞬間、蛯名は控えめに左手を挙げた。
「勝つことはできましたが、よかった、という気持ちとも違った。父親が後押ししてくれたかなとは後から思えてきました」
続く有馬記念では、外目をまくり気味に進出し、4コーナーでは一気に前を飲み込むように抜け出した。蛯名は高々と拳を空に突き上げた。
「稽古もハードにできて、体重も増えて、具合は最高。すごい自信がありました。テイエムオペラオーにメイショウドトウといった相手にどこまでやれるのか楽しみだったけど、あの強引な競馬でねじ伏せたのだから、菊花賞のときと違って喜ぶこともできました」
「今思えば、勝とうと思いすぎた」
翌年は天皇賞・春も勝利し、秋は凱旋門賞に挑戦。しかしレース中の故障で13着に敗退後、現役を退いた。
「長距離だけの馬だと誤解されてますけど、そんなことはなく、秋の天皇賞でも勝負になるポテンシャルはありました。凱旋門賞でも、今度こそと期待していましたが……」
今度こそ――。その3年前に蛯名はエルコンドルパサーと凱旋門賞に挑み、2着と悔しい思いをしていた。
「長期滞在の最初のうちはよそものだったのが、徐々に周りとも馴染んで、いつしかエルコンドルパサーも地元の馬と同じように扱われたのは、やはり大きかったですね。滞在先の(トニー・)クラウト(調教師)のサポートも驚くぐらいに手厚く、気配りをしてもらいました。それでも、今思えば、勝とうと思いすぎた。レースに向かうまでの何かが足りていなかったと思います」