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【有馬記念】蛯名正義が語る、亡父の後押しが生んだ2001年“陰の年度代表馬”マンハッタンカフェ
posted2020/12/26 11:04
text by
土屋真光Masamitsu Tsuchiya
photograph by
Keiji Ishikawa
初出:Sports Graphic Number987号(2019年10月3日)「蛯名正義『亡父の後押しが生んだ“陰の年度代表馬”』」(肩書など全て当時)
2001年の年度代表馬ジャングルポケットと、前年の無双ぶりから“絶対王者”と称されたテイエムオペラオー。しかし、この2頭を菊花賞、有馬記念という大舞台でそれぞれ下し、“陰の年度代表馬”の声も挙がったのが、蛯名正義が主戦として騎乗したマンハッタンカフェである。
「デビュー前から乗せてもらっていて、これは走るぞ、とは感じていたんです。ただ、体質がしっかりしなくて、特に輸送に弱いので、春はすっぱり諦めて秋の大きいところに備えよう、となったんです」
秋で大きいところ、つまり3歳ならば菊花賞を指す。着実に賞金を加算させるために、陣営は輸送のない札幌での滞在競馬を選んだ。4カ月ぶりの実戦となった富良野特別では馬体重が502kgと、前走から46kgも増えていたが、後方からひとまくりで勝利し、続く阿寒湖特別も好位から完勝。菊花賞への上がり馬として台頭した。同時に蛯名は札幌記念を制するなど、地元である札幌シリーズで好調を示し、同市内の実家にも何度か足を運んでいた。
父親に連れられていった競馬場の風景から
蛯名が騎手を志すきっかけとなったのは、父親に連れられていった競馬場での風景だったという。当時はトウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスのいわゆるTTGの時代で、見ているうちに自然と競馬に心惹かれていった。
「実家に顔を出すのは札幌で乗るときくらいでした。家にはその父親もいたけど、特に競馬の話はしなかったですけどね」
また、そのうち帰省して顔も見るだろう。蛯名としてはそんな心持ちでいたはずだ。
菊花賞に備えて輸送の負担を減らすために、マンハッタンカフェは栗東トレセンで調整していた。しかし、直前の追い切りに蛯名の姿はなかった。