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3児の父・松岡修造に“世界4位”秦由加子が語った「13歳で右足を切断した日」 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byNanae Suzuki

posted2020/11/22 11:00

3児の父・松岡修造に“世界4位”秦由加子が語った「13歳で右足を切断した日」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

秦由加子選手が右足を失ったのは13歳のときだった

松岡:僕がテニスのプロツアーを回っていたとき、トレーナーはトライアスロン日本一の人だったんですよ。だから当時はトライアスロンの雑誌を毎月読んで、ものすごく詳しかったです。

:そうなんですか! ご自身ではやろうと思わないんですか?

松岡:僕は膝がダメなんですよ。あっ、そういうこと言っちゃいけないのか。「できる!」って言わないと。あとね、お尻がだめなんです。自転車はお尻が痛くなっちゃう。

:それは慣れます(笑)。はじめは痛いんですけど、お尻に筋肉がついてくると痛くなる部分が浮いてくるんです。

松岡:“自転車座り筋”みたいなのが出てくるんですか?

:そうです。だから大丈夫。私も最近わかりました。

松岡:え、最近……。そのレベルに到達するまでだいぶ時間が必要ですね。

(構成:高樹ミナ)

 #3 「えっ、えっ?」松岡修造が驚いた “パラ世界4位”秦由加子「ホント、足なくて良かったわ~」の真意とは に続く

秦由加子(はた・ゆかこ)

1981年4月10日、千葉県生まれ。13歳で骨肉腫を発症し、右足の大腿部切断を余儀なくされる。07年に10歳まで習っていた水泳を再開。ロンドンパラリンピックへの出場を目指したが叶わず、13年にパラトライアスロンに転向。わずか4年で16年リオパラリンピックの日本代表に選出され、日本選手最高の6位入賞を果たした。現在は世界ランキング4位につけ、東京パラリンピックでのメダルを狙う。クラスはPTS2。キヤノンマーケティングジャパン・マーズフラッグ・稲毛インター所属。

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