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3児の父・松岡修造に“世界4位”秦由加子が語った「13歳で右足を切断した日」 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byNanae Suzuki

posted2020/11/22 11:00

3児の父・松岡修造に“世界4位”秦由加子が語った「13歳で右足を切断した日」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

秦由加子選手が右足を失ったのは13歳のときだった

:足を残す方法だと、万が一、ガン細胞が残っていた場合は転移する可能性がある。だから切断したほうがいいという意味だったからです。切断する場所は腫瘍が出来た部分からなるべく遠いほうがいいということで膝上切断になりました。

松岡:ご両親は何と?

:「私たちも切断したほうがいいと思うんだけど、どうする?」と言われました。実は先生と両親の間ですでに決められていたんですよね。説明を受けた2日後には手術日が決まっていましたし。だけど、私よりも先に両親が決断してくれたのが良かったんだと思います。

松岡:それで良かったんですか?

:はい。もし自分に選択を任されていたら「足を残したい」と言ったと思うんです。その場合、他に転移していたかもしれないわけですから。実は私が通っていた中学校の付属高校に1年生で私と同じ病気になった子がいたんです。ちょうど同時期で、その子は足を温存するやり方を選んで高校3年生のときに亡くなりました。私がその話を聞いたのは中学3年生になってからでしたが、自分は切断を選択して良かったのかもしれないと思いました。

義足を見られたくなくて……

松岡:ご両親もどうにかして足を残してあげたいと思ったはずです。でも、決断力がすごかったということですね。

:よく決断してくれたと思います。ただ私としては自分で決めたわけじゃないから、両親を恨んだ時期もありました。学生の頃は「私は切断したくなかったのに、親が切断すると決めてしまったからこんな姿になったんだ」って。中学でも高校でも体育は見学だったし、運動会も一度も見に行ったことがありませんでした。人が運動しているのを見たくなかったから。そんな学生生活はやっぱりしんどかったですよね。でも今思えば、自分にはできない決断をよくしてくれたな、そのおかげで今があるんだなって、両親に感謝しています。

松岡:僕にも子どもが3人いて、いつもケンカばかりしているんです。親としてはこっちのほうが正しいと思っていても、子どもたちにはそう思えないこともあるみたいで。特に13歳なんて精神的に一番難しい時期に由加子さんの心はどういう方向に行っていたんでしょうか?

:私は二度と走れないし、みんなと同じようには動けなくなってしまったんだという悔しさとか恥ずかしさですね。足がないというのが恥ずかしかったです。後ろめたくて、義足を見られるのが嫌で……。スカートも穿きたくなかったから、担任の先生に相談して制服じゃなく私服で登下校させてもらって、ズボンを穿いていました。

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