松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
3児の父・松岡修造に“世界4位”秦由加子が語った「13歳で右足を切断した日」
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byNanae Suzuki
posted2020/11/22 11:00
秦由加子選手が右足を失ったのは13歳のときだった
松岡:親はどう捉えてあげればいいのか、悩みますね。僕なんかは「そんなの恥ずかしがらなくても自分らしさを出せばいいじゃないか。一歩進もうよ」なんて言ってしまって、子どもとケンカになりそうです。
秦:「お父さんは何もわかってない!」って(笑)。 おそらく私の両親も友達や学校の先生も、私をどう扱っていいのかわからなかったと思いますよ。いろんなことを頑なに拒否する私を見て、無理やりにでもやらせたほうがいいのかどうか迷ったと思います。でも、結局は本人がやりたくないと思っている限り、周りに何を言われてもできないと思うんですよね。
松岡:周りの人間はどうすればいいんでしょうね……。
秦:足を失っても、実はいろいろな可能性があるんだという情報が身近にあるといいですよね。本人がやりたいと思えばできるんだってわかることが必要だと思います。私のときはインターネットがない時代で情報を得る手段が限られていて、パラスポーツのことも知りませんでした。でも今の時代なら、足を切断してもフルマラソンを走っている人がいるとか、トライアスロンをやっている人がいるとかを知ることができます。あと環境も大事ですね。義足を履いている人は見せたくない心理が働きますから、周りの人たちが「私たちは気にしていないよ」と思ってくれて、その気持ちが伝われば、障害を負った人の心の扉はどんどん開いていくと思います。
おしゃれなメガネをかけるように
松岡:由加子さんの心の扉はいつ、どうやって開いたんですか?
秦:2013年にトライアスロンを始めてからです。その前も水泳はやっていましたけど、水泳競技は義足を使わないので、義足は日常生活で仕方なく使うもの、隠すものという感じでした。ところがトライアスロンで競技用義足を使うようになって、義足への見方が変わってきたんですよね。メンテナンスをしながら、もっとこの子を進化させたいとか、もっと真剣に向き合いたいと思ううちに、ものすごく義足に愛着が湧いてきて、「別に隠す必要ないじゃん」って。おしゃれなメガネをかけるのと同じように、おしゃれな義足を履くというのが当たり前の世の中になったらいいなと思えるようになりました。あと、周りのトライアスリートたちが「義足、かっこいいね」と言ってくれたのも大きかったですね。「世界では片足でトライアスロンをやっている人もいるし、秦さんならやれるんじゃないの」と声をかけてくれて、自分もその気になったし、「周りはそんなに気にしていないのか」と思えるようにもなって。トライアスリートには気持ちがオープンな人が多いと思います。