オリンピックPRESSBACK NUMBER
日本記録連発の田中希実に父が課した“地獄のような”練習メニュー 娘を指導する難しさと五輪への思い
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAsami Enomoto
posted2020/11/01 17:03
10月に行われた日本選手権の女子1500mで快勝した田中希実。父と娘、2人の闘いは続いていく
実の娘に厳しいメニューを課す苦しさ
その夜、父と娘は宿舎でミーティングを開き、膝を突き合わせて話し合った。田中は「去年までを超えたい。一歩踏み出したい」と意を決して言った。健智さんも覚悟を決めた。
「あの試合で自分たちは『結果を出すのは4月でいいから、最初はこれぐらいでいいだろう』と思って走っていました。そこで新谷さんの気迫を目の当たりにし、ガツンと殴られて、取り組みの甘さを痛感したのです」
これをきっかけに、健智さんは田中の練習メニューを再考した。ただ、2人はコーチと選手であると同時に父娘である。わが娘に厳しいメニューを課すことは、自分自身の苦しさにもつながる。
健智さんが吐露する。
「去年までは一旦私が練習計画を立てた後に、ここまでやったらちょっと可哀想だなと思って、実は一、二段下げたメニューをやっていました。けれども2月のミーティングを経て、今年は妥協点のベースラインを上げました。甘いことをやっていたら結局は本人が苦しむことになるからです」
「やってきたことが間違いじゃなかった」と
見直した後の練習は当然ながら非常に厳しくなった。そのため、新メニューを始めてから間もない4、5月ぐらいまでは指導者も辛い、選手も辛いといった過酷な毎日を過ごすことになった。父娘で同じ絵を描こうと重ね合わせた気持ちだけが2人を支えた。
すると6月には壁を乗り越えたという感触が出てきた。そして7月になると、当初は地獄のようだったメニューをスタンダードにこなせるようになっていた。その先にあったのが、7月のホクレン・ディスタンスチャレンジでの3000m日本記録樹立であり、8月のセイコーゴールデンGPでの1500m日本新記録だった。
健智さんはさらにこう加える。
「7月にレースが始まったことで、練習とレースがマッチングして、やってきたことが間違いじゃなかったと思えるようになりました。そうなってからは、厳しい練習でもより積極的にこなそうという前向きな感覚が出るようになった。それが8月以降にも繋がったというところです」