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巨人ドラフト事件史「もし桑田真澄が早稲田に進学していたら…」 85年KK騒動と89年大森元木ドラフト
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byAFLO
posted2020/10/23 17:04
1985年、夏の甲子園での桑田と清原。決勝で宇部商を破り、2年ぶりの優勝を果たす
もちろん当時の時代背景もあった。未曾有の好景気のバブル真っ只中で、野球部の同期たちは空前の売り手市場の就活で一流企業へ就職していく。俺らが世界の中心にいる感。要は若さ故の勘違い。あの頃、日本列島全体が勘違いしていたんだと思う。翌年に8球団から1位指名されロッテ入団を拒否した小池秀郎(亜細亜大)も、西武・ヤクルト・巨人を逆指名する際「普通に会社に就職するのでも、まず学生側が会社訪問して話は始まるわけでしょう。逆指名っていうのは、そういうことだと思います」という強気なコメントを残している。今振り返れば、彼らなりに不条理な大人の世界や理不尽なドラフト制度と戦っていたのかもしれない。
大森は雑誌『現代』90年6月号の新時代の4大アスリート特集で、相撲界の若花田と貴花田、そして野球界のゴールデンルーキー野茂英雄とともに取り上げられるほど注目され、二軍のホームラン王も獲得したが、一軍定着はできず。やがて同い年でポジションも被る清原和博のFA移籍で完全に出番を失い、巨人を去ることになる。一方で元木は翌90年のドラ1で悲願の巨人入り。“クセ者”として長嶋監督に重宝され、東京ドームで15年間のプロ生活をまっとうした。
もし、桑田真澄が早稲田大学へ進学していたら……
さて、令和の今、この30年以上前の1985年と1989年のドラフト会議を振り返ったとき、もうひとつの世界線を考えずにはいられない。もしあの時、桑田真澄が巨人から指名されず早稲田大学へ進学していたら……と。そうしたら、桑田は大学4年時のドラフトをなんと89年に迎えることになる。
そして、89年に巨人が満を持して21歳の桑田を単独1位指名していたら、「外れ1位でもイヤ」と公言していた大森は、当初の予定通り社会人野球入りして92年のバルセロナ五輪出場を目指したのだろうか。ただ、その年のドラフトで巨人は松井秀喜(星稜高)に1巡目入札して見事引き当てているので、2位以下で同じ左の長距離砲タイプの大森を指名しなかった可能性は高い。となると、引退後にスカウトへ転身した大森剛が惚れ込み1位指名を主張した坂本勇人という逸材も、令和の巨人軍にいなかったのではないか……。
いつの時代もドラフト会議であらゆる人生の点と点が重なり合い、未来という線になる。
そんな運命の1日が、今年ももうすぐやってくる。
See you baseball freak……