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巨人ドラフト事件史「もし桑田真澄が早稲田に進学していたら…」 85年KK騒動と89年大森元木ドラフト
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byAFLO
posted2020/10/23 17:04
1985年、夏の甲子園での桑田と清原。決勝で宇部商を破り、2年ぶりの優勝を果たす
「桑田は普段からおとなしいけど……」
「桑田は普段からおとなしいけど発言力があるっていうか、みんなから一目おかれてますわ。清原の方が寮をぬけだして遊びに行ってもうたり、悪ガキみたいなことばっかりしとる。でも、清原はからだのワリに気が弱い。1年のときなんか、ホームシックで家に電話しては涙ボロボロ」
桑田の周囲に流されない意志の強さとしたたかさ、そして清原の憎めないやんちゃさと涙もろさ。ふたりへのアンケートで「大切にしているもの」について、清原が「高校入学したとき、お母さんが買うてくれた時計。それと(中森)明菜のポスターや」なんて無邪気に答えるのに対して、桑田は「去年の夏、知り合いからもろた王さんのサイン色紙」とのちの喧噪を予感させるかのような回答をしている。
「1億円のスーパーヒーロー清原和博が告白『ボク、巨人が大好きや』」(「週刊現代」85年9月21日号)では、自身が巨人ファンであることを公言しつつ、実際に入りたいか聞かれると「たしかにファンだけど、仕事とファンであることは別問題じゃないスか、やっぱり」なんつって清原はクレバーに返す。まさかドラフトで涙を流すような雰囲気は微塵もない。
18歳の清原が流した涙のインパクト
一方ですでにKK同時獲得を狙う巨人に、それを阻止すべく動く西武という図式もさかんに各媒体で書かれていたし、王監督が即戦力投手を希望しておりスポーツ新聞に「巨人、長富浩志(NTT関東)獲得へ」と出たこともある。桑田の父親がインタビューで「プロに行く可能性がまったくないとは言えない」と語り、可能性のある球団として「巨人」をあげたのもこの頃だ。ドラフト1週間前の11月14日には、PLの清原の元へ巨人スカウトが挨拶に訪れたが、1時間半にも渡る会談でも最後まで球団側から「必ず1位に」という確約を貰えなかった様子はスポーツニュースでも流れた。なお、11月20日ドラフト当日の報知新聞一面は「巨人の1位指名は伊東昭光(本田技研)」である。
こうして振り返ると、巨人が清原を指名しない予兆は確かにあったのだ。同時に桑田のプロ入りも常に噂されていた。だが、時間の経過とともに「巨人に裏切られたキヨマー」というストーリーだけが語られてしまう。指名されなかったのは事実、同時に時間の経過とともに消えた過去があるのもまた事実である。見るものはどうしても夢破れた清原目線で肩入れしたくなる。それだけ18歳の少年が流した涙は強烈なインパクトを持っていた。