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中日スカウトが明かす“2010年ドラフトの真相”「なぜ澤村拓一ではなく、大野雄大を1位指名したか」
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byKYODO
posted2020/10/18 17:01
2010年のドラフトで中日から1位指名を受けた大野雄大(当時、佛教大)
落合監督「大野は単独で取れるんだろうな」
米村は続ける。
「当時の監督は落合さん。それで、澤村の評価をスカウトに聞いてきた。そこでの答えは、『1年目から二桁勝つだろう』と。さらに、こういう補足がついた。『しかし、1年目は同じくらい負ける』。そこで、落合さんは大野でいこう、という話になった。ところが、問題はそれだけではないんや。『大野は単独で取れるんだろうな』と念押しで聞かれた」
単独1位指名できるがどうかが焦点だった。もし、他球団と重複でもすれば、澤村を回避した意味がなくなる。大野を選んだのは、澤村は10勝するけど10敗もするという評価だけではなく、大野が単独で取れるということが加味されているというのは米村も感じていることだった。
しかも、この調査は、担当スカウトである米村にしかわからないことだった。普段からどれほど他球団の動きをチェックしているかが鍵を握るのだ。米村は「外れ1位なら、少なくとも阪神は指名に来る。単独で取るには1位入札じゃないと無理です」と報告していた。
「あの日で寿命が何十年も縮まったわ」
米村は当時をこう回想している。
「スカウト活動には自信があったし、情報も得られていたと思う。しかし、全ての責任が自分に押し寄せてくると思ったら、プレッシャーが物凄かった。俺、気弱いわと生きてきて初めて思ったもん。スカウト会議の後、みんなで食事に行ったけど、ホテルでもどしたからね」
そして、当日、米村にとって苦痛の時間が始まる。ドラフト1位が次々と読み上げられていく。他球団が「おおの」と呼ばない事を願いながら。しかも厄介なことに、1位指名で6回呼ばれたのが「おおいし」だった。米村は大石がアナウンスされるたびに胸が締め付けられる思いがした。いつ「の」が続いて呼ばれるのかと、怖くて仕方なかった。
幸い、「おおの」とアナウンスされたのは中日だけだった。大野は中日へと入団。その後の活躍は周知の通りである。
今季途中、澤村は巨人からトレードされた。ともすれば、2010年のドラフトで大野を指名獲得した中日の勝利と考えられがちだが、澤村の巨人での貢献度も決して悪いものではなく単純比較はできないだろう。ただ一つ言えるのは、大野の指名には間違いがなかったということである。
ドラフトは単純な選手評価だけでは決まらない。
戦略的な相手の状況、様々な要素をふるいにかけて、選抜していく、もし、中日があの時、澤村に行っていたら巨人と重複。大野の指名は、阪神など他球団とバッティングしていただろう。現在のチームのエースを獲得できていたかは微妙である。
「あの日で寿命が何十年も縮まったわ」と米村。2010年のドラフト直後に聞いたのがこの話である。
当時、関西担当のスカウトだった米村は、今、チーフスカウトという立場になり、全国を飛び回っている。選手にとってのドラフトがそうであるように、スカウトもまた、ドラフトによって運命が変わるのである。
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