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会長は“大統領の甥” ビッグクラブを抑えてトルコリーグ制覇「イスタンブールBBSK」ってどこ?
posted2020/10/14 06:00
text by
フランク・シモン&ティモテ・クレパンFrank Simon et Timothé Crépin
photograph by
Daniel Bardou/L’Équipe
古くは稲本潤一のガラタサライ移籍(2006~07年)、そしてとりわけ長友佑都のガラタサライ移籍(2018~20年)と、短期間ながら香川真司のベシクタシュ移籍(2019年1月31日からのレンタル移籍)でトルコリーグは日本でも身近な存在になった。だが、ガラタサライやベシクタシュ、ジーコが監督を務めたフェネルバフチェ、トラブゾンスポルといったビッグクラブを別にすれば、その具体的な状況は今日でもまだあまり知られてはいない。とりわけ昨季初優勝を果たしたイスタンブール・バシャクシェヒルFKについては、読者の皆さんもほとんどご存じないのではあるまいか。
トルコのアイデンティティを民主的に確立した公正発展党(AKP)とレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領との親密な結びつき、堅実で安定したクラブ運営とベテランに頼ったチーム構成など、1990年に産声をあげた若いクラブの成り立ちと現状をフランク・シモン、ティモテ・クレパン両記者が『フランス・フットボール』誌8月4日発売号でレポートしている。
(田村修一)
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2014年にトルコ・シュペル・リグ(1部リーグ)に復帰してからバシャクシェヒルは、5シーズン連続でトップ4に入るという好結果を残し続けた(4位、4位、2位、3位、2位)。そしてコロナ禍による中断を経た2019~20年シーズンには念願の初優勝を成し遂げた。それは安定と経験に重きを置いた賢明なスポーツ政策の成功であった。
ビッグクラブを抑えての初優勝
そのときスタジアムは沈黙のなか奇妙な雰囲気に包まれていた。トルコ・シュペル・リグ第33節、最終節を残し首位のバシャクシェヒルは2位トラブゾンスポルに勝ち点4の差をつけてカイセリスポルとの対戦を迎えていた。一方、バシャクシェヒルを追うトラブゾンスポルは、コンヤスポルとの絶対に負けられない戦いに臨んだ。トラブゾンスポルにとっては2連勝が逆転優勝のための最低条件であり、なおかつバシャクシェヒルが2引き分けに終わってはじめて勝ち点で並ぶ他力本願である。
だが、激しい点の取り合いの末にトラブゾンスポルは3対4で敗れた。その報をバシャクシェヒルの選手たちは奇妙な状況下――1対0とリードした後半途中、スタジアムが2度にわたり停電に陥ったときに伝えられた。試合はそのまま終了し、バシャクシェヒルは初のリーグタイトルを獲得した。選手とスタッフは、無観客試合でありながらなぜかスタンドに詰めかけた数百人のサポーターとともに、歴史的な喜びの瞬間を味わったのだった。スタッフの中には元カメルーン代表のストライカーで、今はオカン・ブルク監督のアシスタントコーチを務めるピエール・ウェボも混じっていた。
大統領専属医の病院がメインスポンサー
イスタンブールのバシャクシェヒル地区(人口約45万人)に本拠を置くバシャクシェヒルは、長きにわたりビッグ3(ガラタサライとベシクタシュ、フェネルバフチェ)の陰に隠れた存在だった。
1990年にイスタンブール市によって創設され、その後は公正発展党(=AKP、党首のレジェップ・タイイップ・エルドアンはイスタンブール市長〈1994~98年〉から首相〈2003~14年〉を経て、2014年にはトルコ史上初の選挙により大統領に選ばれ今日にいたる)に近い人物に買収され、同年にイスタンブール市から完全に分離した際に、名前をイスタンブール・ビュユクシェヒル・ベレディイエスポル(イスタンブールBB)からイスタンブール・バシャクシェヒルFKへと改めた。チームカラーは奇しくもAKPと同じオレンジである。