プロ野球PRESSBACK NUMBER
「これは“野球版”半沢直樹だ」どん底の“広島カープ”に転職した営業企画課長はダメ球団をどう変えた?
text by
清武英利Hidetoshi Kiyotake
photograph byBungeishunju
posted2020/10/09 17:01
2009年に開場したマツダスタジアム
それに、鈴木は「ちょっとやってみろ」と言われて初めてのことに取り組むのが嫌いではなかった。どう目的にたどりつくかは、自分に任されている。城を築くのは耕平や元でも、その石垣の石をどう運ぶかは私に任せて下さい、というふうにやってきた。米作家のヘミングウェーがこんなことを書いている。
〈あいつは刺激のあるもの、場面の変化をともなうものなら、なんでも、好きだった。そうすれば、新しい人々に会え、物事が愉快になるからだった〉(『勝者には何もやるな ヘミングウェー短編集3』)
歯車のひとつから脱して、刺激を受けながら働くことが、鈴木には楽しかったのだ。ドミニカ共和国に行ってきてくれや、と元に言われたときもそうだった。「しょうがない、やるしかない」と。そのときのことを彼は時々、思い返した。
ドミニカのラス・アメリカス国際空港に降り立ったときは夜だった。むっと生ぬるい空気に身を包まれて、温かいと感じた。東南アジアとは違う乾いた大気に独特な椰子の木、遠くに暗い海が見えた。
「ああ、これがカリブ海なんだ」
と息を大きく吸い込んだときの感動は忘れない。これから立ち向かうトラブルを忘れて、生きる喜びのようなものを感じたのだった。
(【続きを読む】「カネを出さなければ勝てない!」2年連続最下位でも…野村克也が阪神オーナーを説教した日 へ)
『サラリーマン球団社長』(文藝春秋) 書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。