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「これは“野球版”半沢直樹だ」どん底の“広島カープ”に転職した営業企画課長はダメ球団をどう変えた?
text by
清武英利Hidetoshi Kiyotake
photograph byBungeishunju
posted2020/10/09 17:01
2009年に開場したマツダスタジアム
「選手が飯の上にピザを乗せて食べていた。おかずがあれかい。お前はあんなものを選手に食べさせよるんか」
「違いますよ。朝食のときに、選手が飯が足りないというんで、ピザを焼いてやったんですわ」
頰を膨らませて答えたら、元は「これどうや。作ったらどうか」と、料理のレシピをファックスで送りつけてきた。それを見ていた緒方は後でこう言った。
「わしは、鈴木さんのことをコックだと思ってましたわ」
「お前、ドミニカに行ってこい」
そんな誤解を受けながら、翌年もアイダホ州の独立リーグチーム「ゲートシティ・パイオニヤーズ」に、野手の浅井樹ら5人を連れて行き、それがようやく終わって帰国すると、元に呼ばれた。
「うちのドミニカアカデミーがおかしいんじゃ。お前行って見てこい」
西インド諸島のイスパニョーラ島東部を占めるドミニカ共和国は、大リーグの選手養成拠点である。カープもこの島で身体能力に優れた地元の若者を集めて、日本球団初の野球学校を作ろうとしていた。大リーグは、当時26球団のうち22球団までがベースボール・アカデミーを開校し、1500人をメジャーリーガーやマイナー選手として送り出していた。
カープは約6億円を投じて、ドミニカの荒れ地に広島市民球場の10個分に相当する27万平方メートルのグラウンドや寮を整備中だった。そこは首都サントドミンゴから東へ80キロ離れたサンペドロ・デ・マコリスにある。
どうするんじゃ。スペイン語もわからんのに!
ところが、開校の3か月前になっても寮はできなかった。どうやら建築資材がそっくり横流しされているようだ。それを報告すると、元が現地にやってきて業者相手に激怒した。
「おかしいじゃないか。もうええ、自分らでやる」