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ドラフト直後、18歳の松井秀喜が校舎の非常階段で漏らした悲哀 「僕、行かなきゃいけませんかね?」
text by
渋谷真Makoto Shibutani
photograph byKyodo News
posted2020/10/07 11:02
抽選の末巨人が交渉権を獲得し、野球部の仲間たちに胴上げされる18歳の松井秀喜
「甲子園の浜風を止めてくれたらね」
この話を聞いたとき、松井の思いを知っていただけに切なくなった。当時の阪神は高知県安芸市で秋季キャンプを行っており、大の飛行機嫌いだった中村監督は、岡山経由で陸路上京した。だから下。それはいい。どちらを選ぼうと当たるときは当たる。外れるときは外れる。ただ、上を選べという声は聞こえなかったか。なぜなら、このときの中村監督を乗せた新幹線は、架線事故のため浜松付近で1、2時間足止めを食らっている。「下はダメ」。神託。一度きりのチャンスをスルーした瞬間、歴史は定まったのだ。
後年、すっかり巨人の中心打者に成長した松井と、甲子園で再会した。こちらの「阪神にFAで来る?」。取材。のわけがない。答えはわかっている。ただ、軽口にこう返されたのは覚えている。「甲子園の浜風を止めてくれたらね」。言うまでもなく左の強打者には敵の風。残るべくして残った「当たり」を師はつかみ、少年は運命を受け入れ弟子となった。のちにそろって国民栄誉賞。もし、非常階段での言葉が相談だったとしても、今なら迷わず「行け」と背を押す。何人たりとも書き換えてはいけない歴史なのだから。
【この記事の写真】 星稜高校から巨人へ進んだ松井秀喜。始球式で広末涼子をエスコートする姿も… へ