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「五輪に間に合わない」大ケガを乗り越えて アルペンスキー・新井真季子の告白
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byIchisei Hiramatsu
posted2020/09/28 11:30
新井は1993年6月12日生まれ。08年ジュニア五輪の大回転で準優勝、回転で優勝。その才能には早くから注目が集まっていた
左右の膝靭帯を断裂して……
小学5年生で国際大会に出場。「同じ歳でもっと速い人がいる」。もっと速くなりたいという思いに拍車がかかった。毎シーズン、国際大会に出たが、かなわない。ではどうすればいいかと考え、1つの決断をする。2008年、中学3年の夏、スキーの強豪国オーストリアに渡ったのだ。そして当地の学校に通いながらスキーに取り組んだ。
「スキーの強いところでやるのが上達にはいちばんだと思いました。自分は速くなれると信じる気持ちもありました」
将来を嘱望される存在になり、また、順調に階段を昇っているかのように見えた足取りは、しかし、そのまま順風満帆というわけではなかった。
オーストリアで練習を重ね、2012年、世界ジュニア選手権に日本代表として出場する。だが大会で、右膝靱帯断裂の重傷を負い、手術とリハビリに時間をとられることになった。その後、2015年、2017年には左膝靱帯断裂の怪我を負った。
「間に合わないなと思いました」
「1回目はそんなに落ち込むこともなかったですが、2回目と3回目は……。復帰までに時間がかかるのは1回目で分かっていたし、また同じことをやらないといけないのかと」
とりわけ3回目の怪我はこたえた。
平昌五輪の前シーズンに行われたプレ大会、つまりオリンピックと同じ会場でのケガだったからだ。
「これは(オリンピックに)間に合わないなと思いました」
日本代表の選考方法がそれまでから変わり、2017年12月の全日本選手権で決めることになり、可能性は残された。懸命の努力で復帰、大会に出たが代表には届かなかった。
「それは、悔しかったですね」
それでも「北京(五輪)を目指そう」と思えた。
「(3回目の怪我の)手術をしたとき、『もう滑ることができるか分からない』みたいなことも言われていました。悔しかったけれど、また戻ってくることができた喜びもありました。それに万全でない中でのことだったので、『怪我をせず、4年間あればやれる』とも思いました」