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「最後は転んでゴールすると思いますよ」激闘王・八重樫東が語っていた“引退を決断する日”
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byGetty Images
posted2020/09/23 11:01
全勝中のローマン・ゴンサレスと対戦し、果敢に打ち合うも玉砕。だが代々木第二体育館を熱狂させた激闘王は評価を上げた
「KO負けって、出し切らないまま終わるパターンが多い」
今度こそ、天秤は揺れに揺れた。敗戦直後の悔しさに駆られて練習を始めたが、やがて熱は冷め、ジムに姿を見せなくなった。
そうしてゆうに半年以上が過ぎ去ったころ、八重樫は戻ってきた。
なぜか。ひとつには、初回KO負けという結果がそうさせた。
「KO負けって、出し切らないまま終わるパターンが多いと思うんです」
メリンド戦にすべてを出し尽くせたかといえば、答えはノーだ。12ラウンドの戦いを見据えた準備の1割も生かせず、時が経てば「勝って当然」の空気に油断があったと思い当たった。
遡れば井岡一翔との激闘で顔と名前を売り、ロマゴンとは真っ向から打ち合って、負けてなお八重樫は評価を高めてきた。そうしたキャリアのせいだろう、いつからかこんな思考が形成された。
「『八重樫は負けてもおもしろい試合をする。だから次もがんばれ』って言ってくれる人が多かった。その人たちに『ああ、あいつはもうダメだよ』って言われたら、自分自身の価値はなくなってしまう」
ボディ一発でリングマットに沈められたゲバラ戦、1ラウンド終了のゴングすら聞けなかったメリンド戦のKO負けで、八重樫の価値はずいぶん薄れた。ロジックのうえでは、決断すべきタイミングだった。
屁理屈すらひねり出せない“完膚なき負け”まで
それでも復帰を選んだ根底の理由は「ボクシングが好きだから」。ただ、さすがにそれだけでは虫が良すぎると八重樫は考え、周囲を納得させる理由をつけた。メリンド戦では、もろさを露呈した負け方ゆえ「もう壊れている」との評にさらされたが、それを逆手に取ることにした。
「そういう人たちを黙らせたい。また1ラウンドでポコンと倒れるのを見てから言ってくれ、と。屁理屈ですけどね」
プロボクサーでいられる時間は残り少ない。そう悟っているからこそ、八重樫はわがままになった。これまで大事としてきた自らの商品価値をあえて小事とした。「天邪鬼な性格だから」と多少の強引さを承知のうえで現役生活を引き延ばし、そこに、自分のために戦う余地を用意した。
「いつまで経っても辞められないじゃないかと思われるかもしれないけど、線引きは自分でする。それがプロとしての最後の仕事だと思ってます。どんなふうになっても、最後は転んでゴールすると思いますよ」
屁理屈すらひねり出せない完膚なき負けが終焉の合図だ。ただ倒されただけでは、この偏屈な男の心は折れない。
【《三浦隆司》編(https://number.bunshun.jp/articles/-/845107)に続く】