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「最後は転んでゴールすると思いますよ」激闘王・八重樫東が語っていた“引退を決断する日”
posted2020/09/23 11:01
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Getty Images
これまで多くの激闘を見せてきた八重樫だが、その中でも「KOされた日」について三浦隆司とともに、2019年に本誌で語っている。その記事を特別に公開します。
「倒された。だからこそ」
倒す者がいれば、倒される者もいる。KOは決して勝者だけのものではない。かつて壮絶なKO負けを喫したふたりは、そこでなにを味わい、なにを見たのか。
【初出:Number990号(2019年11月14日号) <ボクシング総力取材>KO主義。「倒された。だからこそ」《八重樫東》/肩書などはすべて当時】
拳の交錯を幾度か重ねて、八重樫東は、眼前の敵に感心していた。
「こいつ、うまいなあ」
王者の細い目を見開かせたのは、ローマン・ゴンサレスだ。2014年9月の対戦当時、戦績は39戦全勝(33KO)。3階級制覇を期してフライ級に転向したものの、圧倒的レコードが足枷となり試合のオファーはなかなか実らなかった。その挑戦を受けて立ったのが、WBC同級王座を3度防衛中の八重樫だった。
パンチの組み立て。距離感。防御。ボクシングのクオリティの高さを見せつけられながら、八重樫は打ち合った。ロマゴン相手の善戦に観衆も沸いた。だが――。
「周りが騒いでいるほど当たってないんですよ。柔らかいものを打っているような感じ。それが逆に怖かったりもして」
もとより「逃げ回って判定」の選択肢は持ち合わせていなかった。
「戦前から、片道燃料で突っ込んでいくしかないだろう、と思ってました。戦争の話をしてるみたいですけど」
勝機が見えた瞬間は「全然ない」。第9ラウンド、セコンドから「玉砕してこい」と送り出され、事実、玉砕した。
24戦目で初のKO負けだったが、勇敢なファイトは八重樫のプロボクサーとしての評価をむしろ高めたと言っていい。なればこそ、わずか3カ月後には再起の機会が世界戦の舞台に設けられた。
引退もちらついた屈辱的なKO負け
空位のWBC世界ライトフライ級王座を、同級1位のメキシカン、ペドロ・ゲバラと争った。徐々に優位に立ったのはゲバラだ。動きが鈍り始めた八重樫に、第7ラウンド、左のボディブローを突き刺した。
一拍置いて、わき腹を猛烈な痛みが襲う。四つん這いになり、悶絶し、その状態のままテンカウントを聞いた。
「顔で意識を飛ばされるならまだしも、お腹で倒れて。恥ずかしかった」
屈辱に塗れたKO負け。ロマゴン戦ほどの話題性も評価の材料もなかった。
現役続行と引退を秤にかけた。結果、前者の側に傾いたのは、敗北の原因が明確に見えたからだ。
「(計量後の)リカバリーミスなんです。フライ級の時と同じようにすれば元に戻ると思っていたのに、そうはならなくて、試合当日のコンディションがよくなかった。自分の失敗だって完全にわかってるんだから、これを修正したらまた違う結果になるんじゃないか。その思いは拭えなかった」
2戦連続のKO負けから歩み直すと決めた八重樫は1年後、再びライトフライ級で世界戦に臨み、王者からベルトを奪う。
2度の防衛を経て、次戦の相手はフィリピンのミラン・メリンドに決まった。暫定王者との統一戦という形ではあったが、八重樫の勝利は固いと見る向きが多かった。
だが、正規王者はあっけなく負ける。試合開始のゴングから3分ともたなかった。