ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
21年ぶり神宮、先駆けはUインター。
幻の高田vs.健介……野外興行の歴史。
posted2020/08/28 15:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Moritsuna Kimura/AFLO
いよいよ新日本プロレスの夏のビッグイベント、8.29『SUMMER STRUGGLE in JINGU』が目前に迫ってきた。新日本が神宮球場で大会を開催するのは、1999年8月28日の『GINGU CLIMAX』以来、じつに21年ぶりとなる。
'99年といえば、あの“1.4事変”と呼ばれた橋本真也vs.小川直也の凄惨な試合があった年であり、“邪道”大仁田厚が新日本に参戦し始めた年。そして総合格闘技PRIDEの人気が急上昇していた時期でもある。
'99年8.28神宮球場大会のカードにも、そんな当時の状況が色濃く反映されている。
第1試合は、新日本の若手実力派だった藤田和之が、元UFCファイターのブライアン・ジョンストンに勝利。セミファイナルは、1.4の小川戦からまだ吹っ切れていない橋本真也を、蝶野正洋が一蹴。そしてメインイベントは、武藤敬司の化身グレート・ムタが、大仁田厚の化身グレート・ニタに地雷爆破マッチで勝利した。
幻に終わったPRIDEvs.新日。
じつは当初、この日の目玉カードは、PRIDEファイターとなっていた高田延彦が、久しぶりにプロレスに復帰して佐々木健介と一騎打ちを行う予定だった。ところが直前になって交渉が決裂。高田vs.健介は中止となり、PRIDEvs.新日本プロレス開戦も幻に終わってしまった。武藤があまり乗り気ではなかったと言われるムタvs.ニタの化身対決は、そんな状況下での苦肉の策でもあったのだ。
猪木現場介入により起こった小川vs.橋本問題、それに対する長州主導の大仁田参戦、そして外圧として存在感を増してきた新興格闘技団体PRIDEの脅威。21年前の神宮球場大会は、そんな新日本プロレス激動の混乱期真っ只中を象徴するようなイベントだったのである。