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ジェッツ原修太が難病公表を決断。
泣くより笑ってほしい2年の闘病記。
posted2020/07/22 19:00
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
CHIBA JETS FUNABASHI
悲劇の涙を期待しているのなら、まわれ右だ。
でも、希望や、前向きな姿勢に触れられる話ならここにある。
独占インタビューを通して、2018年夏からの闘病とそこから自身に起きた変化を千葉ジェッツふなばしの原修太が明かした。
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「今から入院してもらうよ」
2018年8月17日の金曜日の夜遅く、医師から言われて、原はこう考えた。
まぁ、土日を休むくらいで、何事もなくチームの練習に戻れれば問題ないか……。
ずいぶん前から腹痛はあった。便に血が混じることもあった。でも、気にとめないようにしていた。むしろ翌月の上旬にせまっていたアーリーカップという開幕前に行なわれるチームの総仕上げとなる大会がひかえていたから、今は大事な時期だぞ、と言い聞かせていた。
すぐに入院、検査の結果は……。
ただ、あの週は微熱が続いていた。やがて症状がひどくなり、練習を休むことに。そして、その日の夜、池田祐輔アスレティックトレーナーに連れられて、順天堂大学医学部附属練馬病院へ向かった。小松孝行医師に診てもらうためだ。原が2017年の夏にユニバーシアードの日本代表に参加したとき、選手団のドクターを務めていたのが小松だった。
そこから、何か困ったときには連絡するようになった。だから、緊急外来をたずねて小松に診てもらうことになった。
そして、すぐに入院を勧められた。
翌日から検査が始まる。大腸カメラを体内に入れるだけで、激痛が走った。あまりに痛むため、麻酔をしっかり効かせてもらって検査を受けたありさまだった。ほどなくして診断が下された。麻酔で意識がもうろうとしたなかで聞いた病名。
潰瘍性大腸炎――。
国の指定する難病だった。
数日間の入院のつもりが、最終的にはそこからおよそ1カ月も入院生活を送ることになった。