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マキロイを抜いてラームが世界一に。
荒れなくなったのは妻の影響も?
posted2020/07/23 08:00
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph by
AFLO
何げなく撮影された1枚の写真が、ときとして、人間の歴史を物語ることがある。
コロナ禍の真っ只中で再開された米ツアーの6戦目、メモリアル・トーナメントを制し、世界ナンバー1に上り詰めたスペイン出身のジョン・ラームの12年前の写真が話題を呼んでいる。
それは、欧州ツアーがラームへ祝福の意味を込めてツイッター上で公開した秘蔵写真。13年前。スペインのバルデラマで開催された欧州ツアー最終戦で、当時13歳だったラームが当時の世界トップ20に数えられていたスウェーデン出身のヘンリック・ステンソからサインをもらっている場面だった。
白いポロシャツの胸の部分にステンソンがシャーピーを丁寧に走らせ、そのペン先をラーム少年はじっと見つめている。唇は固く閉じられている。それなのに、その写真からはラーム少年の声なき声が聞こえてきた。
「僕も世界のトッププレーヤーになる」
13年後。ラームは世界のトップ中のトップになり、世界ナンバー1に輝いた。13年前の写真を見たステンソンは「今度は僕が世界一のジョンにサインをねだろう」と、粋なジョークをツイートして、ラームを祝福していた。
ジュニア時代に宣言した「世界一になる」。
メモリアル・トーナメント最終日。18番グリーンでウイニングパットを沈めたラームは、右拳を握り締め、ガッツポーズを取った。米ツアー通算4勝目。世界10勝目。それまで王座に君臨していた北アイルランド出身のローリー・マキロイに取って代わり、自分が世界ナンバー1に就いたことを頭と体で実感していたのだろう。
「世界一になることは、13歳、14歳ぐらいからのゴールだった」
マイクを向けられたラームは少年時代の胸の内をそう明かした。ジュニア大会からの帰路、ラーム少年は車に同乗していたコーチに「僕は世界一になる」と宣言したのだそうだ。
欧州のジュニアゴルフ界で腕を上げ、18歳で単身渡米。名門、アリゾナ州立大学へゴルフ留学した。当時、同大学ゴルフ部でコーチを務めていたのは、フィル・ミケルソンの実弟ティム・ミケルソンだった。
「ドライバーは飛んで曲がらない。アイアンもウエッジもパターも、コース・マネジメントも上手い。当時からジョンはすべてが上手く、弱点がないゴルファーだった」