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小須田潤太がパラ五輪で超えたい壁。
山本篤との出会いで、夏も冬も――。 

text by

細江克弥

細江克弥Katsuya Hosoe

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photograph byKentaro Hisadomi

posted2020/07/18 19:00

小須田潤太がパラ五輪で超えたい壁。山本篤との出会いで、夏も冬も――。<Number Web> photograph by Kentaro Hisadomi

100走、走り幅跳び、そしてスノーボードでパラリンピックを目指す小須田潤太。目標はパイオニア山本篤を超えること。

パイオニアからの「練習しよう」。

 イベント終了後、競技用義足が高額であることから二の足を踏んでいたところに一本の連絡が入った。その相手は、講師としてイベントに参加していた山本篤。2008年北京パラリンピックの走り幅跳びで銀メダルを獲得した彼は、義足陸上競技選手として日本人で初めてパラリンピックのメダリストに輝いたパイオニアだ。

「そっちに行く用事があるから一緒に練習しよう」

 山本は、かつて自分が使っていた競技用義足を小須田に貸した。陸上トラックで隣に立ち、走り方を一から教わるうちに小須田は思った。

「篤さんが本当にカッコよかった。それがすべてです。僕はあまり自分に自信を持てないタイプだったけれど、陸上を始めて、隣を見たら日本のトップの選手がそこにいる。その状況で感化されない人はいないですよね。で、急にスイッチが入った。もし練習を重ねて“そっちの世界”に行けたら、自分に自信を持てるかもしれない。最終的には隣にいる“この人”に勝ちたい。本気でそう思いました」

「やらない選択肢はなかった」

 自分の本気度を自分自身に示すために、「ずっと甘えっぱなしだった」という引越業社を退職。アスリートとしての就職活動の結果、現在勤務する不動産会社『オープンハウス』で社員選手となった。

 競技人口がそれほど多くないとはいえ、1年目の2016年から国内トップ5に名を連ねた。2年目の2017年はケガで成績を伸ばせなかったが、3年目の2018年は急成長を遂げて2番手に躍り出た。もちろん、絶対的な1位は山本篤である。

「2019年からは、会社にお願いして拠点を東京から大阪に移しました。篤さんと一緒にトレーニングするためです」

 たまたま目にしたネットニュースに衝撃を受けたのは、2017年2月のことだ。

 山本篤、全国障がい者スノーボード選手権で優勝――。

「これはかなり食らいました。マジかよって。陸上でまったく歯が立たないのに、そっちもやるんですかと」

 気持ちを抑え切れずに、その年の年末には友人を誘って雪山に出かけた。日常用の義足で「意外とできた」から、すぐに競技用義足を購入して本格的に滑り始めた。その3カ月後には大会に出場し、「思い切りコケてビリだった」にもかかわらず「若い選手が少ないから」と強化チームのコーチに声をかけられた。次のシーズンには、海外のワールドカップに参戦していた。

「やらない選択肢はなかったですね。平昌パラリンピックの篤さんの滑りを見た時、『これなら勝てる』と思いましたから(笑)」

 夏と冬。パラリンピックへの連続出場を目指すチャレンジが始まった。

【次ページ】 「山本篤に勝ちたい。それだけ」

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