ツバメの観察日記BACK NUMBER
ヤクルトに名匠の教えをもう一度。
野村克也、関根潤三が遺したもの。
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byL:Kyodo News R:Kazuaki Nishiyama
posted2020/06/18 11:00
かつてヤクルトを指導した関根潤三監督(左)と野村克也監督。両監督の教えが今もヤクルトを導く。
野村監督のお陰で幸せな野球人生。
一方、野村監督は関根監督時代に台頭した池山、広沢克己(現・広澤克実)をチームの軸とし、自ら徹底的に教育した古田敦也を加えたことで、勝てるチームを着実に築き上げた。そして、この黄金期において盤石のクローザーとして活躍したのが高津臣吾である。
野村監督にとって最初の日本一となった'93年は、この年からリリーフエースとして台頭し、胴上げ投手にもなった高津の活躍が大きかった。このときの日本シリーズについて、対戦相手である西武ライオンズナインに話を聞くと、みな一様に「高津にやられた」「あのシンカーに手も足も出なかった」と語っている。生前の野村は言った。
「前年('92年)の日本シリーズで、西武・潮崎(哲也)のシンカーにヤクルト打線は見事に封じ込まれた。だから、高津に“あのボールをマスターしろ”と命じた。それが'93年の日本一奪取に大きく役立ったと思う」
高津自身も後に「野村監督から与えられた《問い》を自分なりに試行錯誤しながら必死に《答え》を探したことで、幸せなプロ野球人生を送ることができた」と感謝の言葉を述べている。
ヤクルトは似た移行期を迎えた。
国鉄スワローズから始まる球団の歴史における12年間を担ったのが、関根さん、そして野村さんだった。そして、スワローズ70年の節目に当たる2020(令和2)年、高津臣吾が一軍監督に、池山隆寛が二軍監督として就任。新指揮官の下、チームは新たな歴史を刻むこととなった。期せずして、元監督である関根、野村両氏の教え子たちによる弔い合戦の様相を呈すことになったのが、これから始まる'20年ペナントレースなのだ。
賢者は歴史に学ぶという。スワローズ史をひも解いてみた場合、現在のチーム状況はちょうど関根監督時代から野村監督時代への移行期に似ているように思える。昨年のヤクルトはなす術もなく敗れ去った。首位の巨人とは18ゲーム差という圧倒的な最下位となり、責任を取る形で小川淳司監督、宮本慎也ヘッドコーチがチームを去った。
それでも、いや、それだからこそ、小川監督は184三振の村上宗隆を、あるいは開幕から41打席連続無安打の廣岡大志を辛抱強く起用し続けたのだ。