松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
パラバドミントンの新星・里見紗李奈。
競技にハマった理由に松岡修造、驚嘆!
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byNanae Suzuki
posted2020/06/13 11:00
事故の後は落ち込んだという里見選手。今は笑顔のプレーで周りの人を明るくするほどの選手に。
「競技においては相当ラッキーだと思いませんか?」
松岡「お話を聞いていると、交通事故はもちろん不運な出来事だったと思いますが、パラバドミントンが東京パラリンピックで新競技に採用されたとか、強い選手とダブルスを組ませてもらえたとか、競技においては相当ラッキーだと思いませんか? 競技に対する思いがそこまで強くない中で、トップに駆け上がってくる選手はそうそういないですよ」
里見「ホントですか!?」
松岡「本当です! なんとなくパラバドミントンを始めたのに、いい人との出会いやダブルスパートナーとの出会いで心の持ち方が変わっていったわけじゃないですか」
里見「本当にそうですよね。周りの人にはすごく恵まれたと思います」
松岡「競技に対する立場と気持ちが変わって、練習内容も変わりましたか?」
里見「はい。コーチともすごく話すようになりましたし、同じ強化指定選手の中にも相談する仲間ができました。私にパラリンピックを目指せると言った村山選手にも相談したりとか。とにかく周りの人の意見を聞いて、自分のやるべきことを明確にして、弱い部分を潰すようにしています」
松岡「村山選手は紗李奈さんにとって、どんな存在ですか?」
里見「村山選手は、マジ、すごい。私、大好きです。お父さんみたいで」
松岡「そういうことを聞いてるんじゃなくて……」
里見「え? どういうことですか?(笑)」
松岡「人生を変えてくれた人とか、村山選手がパラリンピックを目指せると言ってくれたおかげで今があるとか、あるでしょう?」
里見「でも、村山選手1人だけの力じゃないですよ。きっかけをくれたのは村山選手で、そこはすごく感謝しています。さらに、村山選手の言葉を聞いて熱くなってくれたお父さんにも感謝してますし、指導してくれたコーチにも感謝しているし。本当に私は周りに助けられて、今ここにいるので」
(構成:高樹ミナ)
※本取材は緊急事態宣言が出る前に行ったものです。
里見紗李奈(さとみ・さりな)
1998年4月9日、千葉県生まれ。2016年5月、高校3年生のときに交通事故に遭い脊髄を損傷、両下肢に障がいが残る。'17年の春に父親のすすめでパラバドミントンを始める。同年8月のデビュー戦でシングルス3位、12月の日本選手権でシングルス準優勝。'18年7月のタイ国際では日本のエース山崎悠麻選手と組んだ女子ダブルスで準優勝。'19年8月の世界選手権でシングルス優勝、ダブルス3位。東京2020大会ではメダルを期待されている。クラスはWH1。NTT都市開発所属。