松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
パラバドミントンの新星・里見紗李奈。
競技にハマった理由に松岡修造、驚嘆!
posted2020/06/13 11:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Nanae Suzuki
アルバイトに燃えていた高校3年生の5月。助手席に同乗していた車が交通事故に遭い、里見紗李奈選手は脊髄を損傷。車いす生活が始まった。
9カ月に及ぶ入院生活を終え自宅に戻って間もなく、車いすバドミントンに出合う。これが人生を変える運命的な出合いになるとは。当時の様子に松岡修造さんが迫る。
体験初日に「パラリンピック目指せるよ」。
松岡「なぜ、急にバドミントンだったんですか?」
里見「父の勧めです。でも、私が中学時代にバドミントンをしていたこと、父は知らなかったんですよ」
松岡「そこはあまり深く聞かない方がいいのかな?」
里見「全然、大丈夫です! 父とはめちゃめちゃ仲いいので」
松岡「仲がいいなら、娘の部活くらい知ってるでしょ!」
里見「キャハハ! 入院中にリハビリスポーツというのがあって、車いすテニスや車いすバドミントンを体験させてくれるんですけど、父にその話をしたら、自宅の近くで車いすバドミントンができるところを調べてくれて。当時、私としてはあまり人と関わりたくなかったので、半ば無理やり連れて行かれた感じでした」
松岡「事故からどれくらい経った頃ですか?」
里見「事故に遭ったのが2016年5月で、バドミントンクラブに行ったのが2017年4月か5月だから1年くらい後ですね。退院してからは2カ月後ぐらいでした」
松岡「行ってみてどうでした?」
里見「チームの代表で、強化指定選手でもある村山浩選手と打たせてもらって、私の体の近くに全て打ち返してくれるので、私も上手く打ち返すことができて、楽しいなと思いました。でも、少し離れたところに打たれると難しくて。続けるなら趣味程度だなって思ったんです。そうしたら、村山選手から『パラリンピック目指せるよ』と声をかけてもらって、びっくりしました」
松岡「まさか初日にその言葉はおかしくないですか?」
里見「ですよね(笑)。でも、車いすバドミントンをやりに来る女子がそもそも少ないので、打てるっていうだけでもすごいことだったのかもしれません。それで、村山選手の言葉を聞いて、父に火が点いちゃったんです」
松岡「お父さんに!?」
里見「それを機に父が練習に連れて行ってくれるようになって、私は『あわよくば、そうなれんの?』ぐらいな感じでした」