フランス・フットボール通信BACK NUMBER
アフガン出身、父暗殺、そして医者に。
偉大な女性サッカー選手の数奇な人生。
text by

フランク・シモンFrank Simon
photograph byCharlotte Robin/L'Equipe
posted2020/05/12 19:00

ナディア・ナディムは、PSGを去る前に女子CLのタイトルを獲ることを宣言している。同時にパリで医者になることも。
多くの国で多くのクラブに所属し、勉強も続けてきた。
ナディア自身もデンマーク時代は、複数のクラブ(B52アルボルグ、ビボルグ、IKスコブバッケン)を渡り歩きながらスポーツと学業を両立させていた。
だがデンマーク国籍を取得すると、女子のプロサッカーが盛んなアメリカに新天地を求めたのだった。アメリカではサッカーの在り方がヨーロッパとはまったく異なっていた。
「試合のプロモーションに関して、アメリカはヨーロッパの遥か先を行っている。まるでロックスターになった気分だった。選手それぞれが《ひとつの商品》で独自のプロフィールを持っている。プレーのレベルや選手の能力という点ではヨーロッパのトップクラブもそう変わらないけど、それ以外はアメリカに遠く及ばない」
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特に彼女が衝撃を受けたのは、試合や大会に臨む際の気持ちの強さだった。
「彼女たちは成長の過程で強い気持ちを自然と身につける。その後はイングランドにも行って、そこでは別のことに驚いた。選手たちがまるで男子のようなジョークを言う。あんな国は他にないでしょう。
フランスはさらにまた別で、人と会ったときに最初は横柄で傲慢な印象を受ける。でもその距離はすぐに縮まって、ひとたび打ち解けるととても強い絆が結ばれる」
「パリでは自分が《よそ者》だとは感じない」
常に笑顔を絶やさない彼女は、自分が訪れた国々とそこに暮らす人々の良さを理解するための秘訣を語る。
「できるだけ早くその国の言葉を覚える。そうすれば相手との距離がぐっと縮まるから」
それは12の歳に移り住んだデンマークでも同じだったのか。デンマークへの複雑な思いを彼女は語る。
「デンマークでは自分のアイデンティティについて多くを学んだ。ただ今は、どこか別のところで暮らしたいと思っている。フランスがそうであるように、自分という存在をあらゆる面で受け入れてくれるところで。パリにいると自分が《よそ者》だとはまったく感じない。デンマークはそうではなくて、気持ちの持ち方が違っていた」