オリンピック4位という人生BACK NUMBER
<オリンピック4位という人生(9)>
笠松昭宏「栄光の架橋の影で」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byPHOTO KISHIMOTO
posted2020/05/03 09:00
男子団体総合で惜しくもロシアに敗れ、4位となった笠松昭宏。自身「ほぼ完璧」と振り返る演技を見せていた。
「うちのクラブを手伝ってくれないか」
そしてあの後、かつてともに戦った塚原たちが救世主として光を浴びるなかで、笠松の日々は惰性に流れていった。
「毎日マットの上に立つんですが、それは他にやることもなかったからで、このまま続けていていいのかな……という思いはいつも心のどこかにありました」
もう終わりだとわかっていても、運命の道を降りることができない。そんなとき、笠松を原因不明の高熱が襲った。
38度の熱が何日も続き、病院に担ぎ込まれた。いくら調べても原因はわからない。まるで何かの啓示であるかのようなその高熱は、笠松をベッドに縛りつけ点滴漬けにしてひと月後にようやく去っていった。
久しぶりに自宅に戻ることのできた笠松に父がさりげなく言ってくれた。
「うちのクラブを手伝ってくれないかと父がそう言ったんです。実際に子供たちのキラキラした眼差しに接してみると自然に吹っ切れていったというか。振り返ってみればあれでやっと諦めがついたのかな……」
父が運命の道からそっと降ろしてくれたのか……。あのひと言の意味を振り返る笠松の目が少し赤くなっていた。
今、笠松は体操クラブの代表を父から継いでいる。体操器具にかこまれた空間。振り返れば3歳からずっとここにいる。
まだクラブ生がやってくる前の昼下がり。しんとした道場内を見渡し、笠松はふと目を止めた。片隅に裏返しにされた一枚のベニヤ板があった。そっと手に取る。
「これ、懐かしいですね……」
年月の経過を示すように赤茶けた板にはびっしりと技の名と日付がならんでいる。
父を、運命を、追いかけた日々。
そのとき、正面玄関のドアが開いて赤ん坊を抱えた女性が入ってきた。
「夏に生まれたんですよ。男の子が……」
妻とまだ1歳にならない長男を前にして笠松が少し照れたように笑った。
ここに新たな運命がある。
笠松はこちらが聞きたいことを察した。
「この子が体操をね、やりたいと言えば全力で応援しますよ。でも僕も父と同じようなことを言うのかなと思います。選手としてやりたいのであれば、苦しいこともやっていかないといけないんだよ。無理することはないんだよと。そう言いたいです」
まだ物言わぬ赤子を見つめ、笠松は恍惚とも憂いともつかぬ表情をした。
笠松昭宏(男子体操)
1976年7月22日、三重県生まれ。愛知高、日体大卒業後、大学院に通いながら徳洲会に所属。シドニー五輪後に中京大職員となり、アテネ五輪を目指すも代表入りできず、'07年引退。現在「笠松体操クラブ」の代表として指導を行う。
◇ ◇ ◇
<この大会で日本は…>
【期間】2000年9月15日〜10月1日
【開催地】シドニー(オーストラリア)
【参加国数】199
【参加人数】10,651人(男子6,582人、女子4,069人)
【競技種目数】28競技300種目(テコンドーなどが追加)
【日本のメダル数】
金5個 高橋尚子(女子マラソン)、野村忠宏(柔道60kg級) など
銀8個 田島寧子(400m個人メドレー)、篠原信一(柔道100kg超級) など
銅5個 岡本依子(テコンドー67kg級) など
【大会概要】
1956年のメルボルン大会以来44年ぶりの南半球での開催。地元オーストラリアのイアン・ソープが17歳で、競泳男子4×100mフリーリレーなどで金メダル3つ、銀2つを獲得した。フィリップ・トルシエ監督率いるサッカー日本代表はベスト8、野球はプロ選手の参加が解禁されたが、惜しくも4位に終わった。
【この年の出来事】
雪印乳業食中毒事件発生。『ハリー・ポッター』ブーム。IT革命が流行語に。