草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
梨田昌孝の人生を彩るドラマの数々。
伝説の10.19、代打北川、遺跡発見。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2020/04/23 11:40
「いてまえ打線」を率いてパ・リーグを制覇した2001年。梨田が代打に送った北川が代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランを放った。
「最後の最後で打撃の極意をつかんだ」
本人は島根県に近い広島からの指名を心待ちにしていたようだが、ドラフト2位で近鉄に入団。若くして頭角を現し、通算1323試合に出場し、ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞に4度選ばれている。全盛時には5割を超えた盗塁阻止率だけでなく、独特の「こんにゃく打法」で113本塁打を放っている。
その中で最もファンの印象に残っているのは「ラストヒット」だろう。
1988年10月19日。近鉄は川崎球場に乗り込み、ロッテとのダブルヘッダーに臨んだ。近鉄にとってはシーズン最終日。連勝すれば優勝が決まる。できなければ西武にペナントが渡る。世に言う「10.19決戦」である。
その第1試合。3対3の9回、二死二塁で仰木彬監督は、すでに現役引退を決めていた梨田を代打に指名した。凡退すれば優勝の可能性が消滅する。言うまでもなく「花道」ではなく、勝つための起用だった。
マウンドには牛島和彦。1ボールからの2球目を、詰まりながらもセンター前に落とした。この一打が決勝打となり、近鉄は第2試合に望みをつないだ。梨田にとって874本目にして、現役最後の安打となった。梨田は後に「最後の最後で打撃の極意をつかんだ」と口にしている。なお、最終出場は第2試合で優勝の望みがついえた延長10回の守備である。
梨田が送り出した、代打・北川。
現役を引退後は指導者の道を歩む。近鉄、日本ハム、楽天で計12年監督を務め、通算805勝776敗31分けという成績を残している。
最も強烈な試合は、近鉄の監督として「いてまえ打線」を率いた2001年9月26日のオリックス戦(大阪ドーム)だろう。勝てばリーグ優勝が決まる試合だったが、9回の攻撃を迎えて2対5。持ち越しかと思われたが「いてまえ打線」は瞬く間に無死満塁のビッグチャンスを作り出す。ここで梨田監督が代打に送り出したのが北川博敏だった。4球目を左中間スタンドに運び、史上唯一の「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」が飛び出した。
打った北川は、このシーズンに阪神からトレードで移籍した選手だった。阪神と近鉄とは同じウエスタン・リーグ。二軍監督だった梨田はその当時から北川の人間性に注目していた。梨田は著書『戦術眼』にこう書いている。
「北川は、自分がスタメンに起用されなくても、チームメイトが本塁打を放って戻ってくると、満面の笑顔でハイタッチをしている。(中略)私は、バファローズというやんちゃな集団には、北川のような存在も必要だと感じ、3対3の交換トレードの際に北川も要求した」
北川の笑顔がトレード指名の要因となり、世紀の本塁打へとつながっていった。梨田は選手として2度、監督として2度優勝を経験しているが、すべて日本シリーズでは敗退している。優しさは勝負の世界で妨げとなることもあるとした上で、この著書には「勝負の神様は、時には黙々と努力してきた無骨な人間にも、チャンスと栄光を与えてくれる」とも書いている。それが現役最後のヒットであり、あまりにも劇的な優勝決定の一打だったのかもしれない。