サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
“大黒様”に決められた劇的ゴール。
若き日の鄭大世が埼スタで見た悪夢。
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byAFLO
posted2020/04/20 12:00
2005年2月9日ドイツW杯アジア最終予選、日本vs.北朝鮮。大黒の劇的なゴールを鄭大世はスタンドで観ていた。
スタンドにいた大学生の鄭大世。
この話には続きがある。
日本対北朝鮮戦をスタンドから特別な思いで眺めていたのが、朝鮮大学校サッカー部に所属していた鄭大世(現清水エスパルス)だった。日本代表と堂々と渡り合う先輩たちの勇姿を見て、「自分もあの場所に必ず立つ。自分も(北)朝鮮代表になって、大きな声援を受けて活躍したい」との思いを胸に誓ったのだった
当時、朝鮮大サッカー部は東京都大学リーグ3部。Jサテライトとの練習試合では、実力の違いを見せられ、「何もできない自分」を何度も突きつけられていた。
転機はその後の「日朝親善サッカー大会」。西が丘サッカー場で行われた佐川急便東京SC戦にハットトリックを達成。これを見ていたエージェントの田邊伸明氏の紹介でJクラブの練習に参加し、最終的に川崎フロンターレを選んだ。そこから飛躍し、2007年には北朝鮮代表に選ばれるようになった。
岡田ジャパンから奪ったゴール。
チャンスをつかんだ鄭大世が待望したのはもちろん、自分を育ててくれた日本との代表戦だ。
インパクトを残した試合として挙げられるのは、2008年2月の東アジア選手権(中国・重慶)だろう。“岡田ジャパン”の主力である中澤佑二、内田篤人ら守備陣をものともせず、鮮やかな先制ゴールを奪った。当時、Jリーグでは二桁得点を決めるなど活躍していたが、この試合の活躍が世間に彼の存在を広く知らしめたものだったことは間違いない。
その後、鄭大世は2010年南アフリカW杯に出場に貢献。北朝鮮として44年ぶりの快挙を成し遂げたのだった。
本大会にもエースとして臨み、グループリーグではブラジル、ポルトガル、コートジボワールと強豪相手に堂々と渡り合った。国歌斉唱の時に涙を流してシーンはあまりにも有名。境遇を知る筆者も、胸がとても熱くなった。