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トラウトの全盛期が危機、大谷は?
新型コロナと第2次世界大戦の対比。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byAFLO
posted2020/04/18 20:00
選手の全盛期というのは貴重なものだ。トラウトや大谷のような選手にとって、1年の価値は想像以上に大きい。
24歳から26歳までの兵役。
ウイリアムスは20歳(1939年)でデビューして42歳(1960年)までレッドソックスの中心選手として活躍したが、23歳で「最後の4割打者」となり、これから「全盛期」を迎えようとしていた24歳(1943年)から、26歳(1945年)までの3年間を第2次世界大戦で兵役に就いた。
その前後の記録がなにしろ、凄まじい。
前述の通り、デビュー3年目の1941年に打率.406で「最後の4割打者」となったウイリアムスは、翌1942年、23歳の時には打率.356、36本塁打、137打点で自身初の「三冠王」になっている。
彼はそれから4年後の1946年に27歳でメジャーリーグに復帰すると、兵役による3年間のブランクをまったく感じさせず、ア・リーグ2位の打率.342や123打点を記録しながら、出塁率.497、長打率.667(OPS1.164)、142得点、156四球(29敬遠)、343塁打など打撃各部門でリーグ最高か最多を記録する好成績を挙げた。
翌1947年、28歳の時には打率.343、32本塁打、114打点で自身2度目の三冠王に輝いている。
ベーブ・ルースの記録に迫っていた?
ウイリアムスが圧倒的な成績を残した戦前の4年間と戦後の4年の計8年間の平均の本塁打数は、ざっくり見積もっても年平均33本塁打になる。もしも彼が兵役に就かずに全盛期の3年間をプレーしていれば、99本塁打が加算されることになる。
ルースは通算714本塁打で、実際のウイリアムスは通算521本塁打なので、「仮想3年間」の99本塁打を足したとしても通算620本塁打だから「ルースの本塁打記録を抜いていた」は信じ難い。
仮にウイリアムスがその3年間に毎年、彼のメジャー最初の8年間の平均33本塁打以上のシーズン40本塁打を打っていたとしても、計120本塁打で通算641本塁打にしかならないので、冷静に考えれば、まるで現実味のない話になる。
ただし、ウイリアムスは(全盛期とは言えないが)1952年と1953年にも兵役で朝鮮戦争に出向いたそうで、その2年間でわずか43試合の出場で14本塁打に終わったことや、1957年に38歳で38本塁打を記録していることを併せて考えれば、彼が2度目の兵役に就かずにフル出場していたなら、ルースの記録にかなり近づいていた可能性はある。