熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
本田圭佑ブラジル移籍の仕掛人激白。
「4年越しの悲願」と交渉の舞台裏。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byMarcos Leite
posted2020/04/13 20:00
本田圭佑をブラジルの地に導いたレイチ氏。2人ともに未知の世界に挑戦しようとの意欲を感じさせる。
ミランでプレーしていた'16年から。
――本田をブラジルへ連れてくる、というアイディアはいつ、どのようにして生まれたのか。
「2016年、彼がACミランでプレーしていたとき、当時働いていたエージェント会社を通してケイスケのマネジメント会社の人たちと知り合ったんだ。
ケイスケは素晴らしいテクニックを持ち、視野が広い。他の選手に見えないものが、彼には見える特別な選手だ。世界各国でプレーし、経験豊富でメンタルも強い。フットボール以外にも世界で起きている事柄すべてに興味と関心を持ち、知性に溢れている。
世界中のフットボーラーの中でも特異な存在で、強く魅せられた。以来、『いつかケイスケをブラジルでプレーさせたい』と考えるようになった。
つまり、彼のボタフォゴ入りは一時の思いつきなんかじゃない。僕の4年越しの願いだったんだ」
――では本田がブラジルでプレーするクラブとして、なぜボタフォゴに白羽の矢を立てたのか。
「昨年後半から、ケイスケ側にブラジルでプレーする意思を確認していた。その一方で、彼がブラジルでプレーするならどこのクラブがいいかを考えた。
ボタフォゴはビッグクラブで、熱狂的なファンがいる。ただ近年、クラブを象徴する選手がいなかった。しかし、かつてはオランダ人MFクラレンス・セードルフが絶大な人気を博しており、外国人選手がクラブのアイコンとなることに抵抗がない。
僕にはケイスケのプレーと人間性がボタフォゴ・ファンを魅了する、という確信があった」
交渉で最も困難だったのは……。
――交渉で最も困難だったことは?
「ブラジルと日本の時差(12時間)だね。交渉がヤマ場を迎えた1月下旬の一週間ほどは、リオのボタフォゴ幹部、日本の本田サイドと頻繁にやり取りしたので、寝るのはいつも明け方。体がボロボロになったよ(笑)。それ以外は、ボタフォゴの幹部も本田サイドも極めて誠実かつプロフェッショナルに仕事をしてくれたので、特に問題はなかった。
ケイスケのボタフォゴ入団の決め手となったのは、ファンの熱意。こんなことは、世界のフットボールの歴史を振り返ってもそうそうあることじゃない。『本田サイドがクラブに防弾車を要求した』という報道があったが、あれは間違いだ。ケイスケは専属トレーナー、住宅、防弾車、運転手などの経費をすべて自己負担している」