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優勝したら志村けんと「アイーン」。
ゴルファーが感じた一流の気遣い。 

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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photograph byKyodo News

posted2020/04/13 11:50

優勝したら志村けんと「アイーン」。ゴルファーが感じた一流の気遣い。<Number Web> photograph by Kyodo News

2006年、SANKYOレディースオープンでプロ初優勝を挙げた諸見里しのぶ。プレゼンターを務めた志村けんさんと「アイーン」のポーズで写真に収まった。

「パター、うまいですねえ」

 16年前、SANKYOレディースでの優勝は北田にとってのツアー3勝目。レギュラーツアー実質2年目で、輝かしいシーズンを送っていた秋のことだった。おそらくは、カメラマンのリクエストで始まったという「アイーン」の2ショット。「恥ずかしかったですよ! したことなかったし……」と照れ笑いして振り返ったが、表彰式の空気はいまも鮮明だ。

「天気が良くなくて、外でやった表彰式では志村さんの眼鏡にも水滴がついていた。でも初めてお会いして、すごく穏やかな方だなあと思いました。私は芸能人の方との接点はあまりないんですけど、“有名な方”はピリッとしているのかなって勝手なイメージがあったんです。でも志村さんは、優しさが表情に出ていて。『パター、うまいですねえ』って言ってもらえた、その言葉がずっと胸に残っています」

 当時トーナメントプロデューサーを務めていた、現株式会社三共プランニングの福西清秀社長もバックヤードで同じような印象を持っていた。

「物静かな方に見えましたね。バカ殿様? いや、とんでもない(笑)。ゴルフもきちんとしたプレーをされる方で、周りの方にも常に気を遣われる方でした」

 試合は2011年を最後にツアーから撤退した。「大会が終わるとき、志村さんは『やめちゃうの? ゴルフとの接点が減っちゃうな』と残念そうでした」と思い返した。

宮里藍、諸見里しのぶも「アイーン」。

「アイーン」の写真が大会の歴史に残っているのは北田だけではない。2009年には宮里藍も、そしてその3年前の2006年には当時20歳だった諸見里しのぶも、照れながらカメラに向かって左ひじを突き出している。彼女にとって、この瞬間は通算9勝のなかでも深く胸に刻まれている。なにせキャリアにおける初勝利だったのだから。

「実際に大会に出るまでは、志村さんが会場にいらっしゃることを知らなくて。練習ラウンドをしていたとき、キャディさんに『この大会のプレゼンターは志村さんだよ』と聞いたんです。一緒に写真を撮っていただきたい、だから優勝したい……という気持ちでした」

【次ページ】 薄氷を踏む思いでつかんだ初優勝。

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