One story of the fieldBACK NUMBER
野村克也の言葉を誰よりも聞いた男。
監督付広報が語る“ぼやき”の正体。
posted2020/03/14 11:40
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Bungeishunju
最後に見た野村克也はこれまでになかったような笑みを浮かべていた。
阪神タイガース球団本部副本部長・嶌村聡は今もそれが忘れられない。
「あれは今年の1月14日でした。毎年、新年の挨拶に行くんですよ。いつものようにタイガースのことをしばらく話したりしたんです」
東京・田園調布の野村邸。
どれくらいの時間、ふたりで話しただろうか。タテジマへのぼやきがいつもより少なかったこと、実母と沙知代夫人の遺影をしみじみと見て「よう似てるよな」と言ったりしていたことを嶌村は覚えている。
やがて、そろそろ失礼しますと席を辞す。いつもならばそこで別れる。ただ、この日はなぜか遠慮するのも聞かずに野村は玄関先まで不自由な足を押して出てきたという。そして嶌村が背中を見送ってくれる野村を振り返ったときに見たのがその顔だった。
「にこおっと笑われていて……。今まで監督の笑顔というのは何度も見てきましたけど、あの顔はそういうものとはまったく違いました。それが最後でした。今でもあの顔が自分の中で消えません……」
嶌村が野村の訃報を受けたのは、それから28日後のことだった。
傍らで聞き続けた「ぼやき」。
嶌村は、球界において最も多く監督・野村の言葉に接した人物のひとりだろう。誰に発せられたものにせよ、それを傍らで聞いていた。世に言う「ぼやき」を耳に浴び続けた。
1999年、野村がタイガースの新監督としてやってきたのと同時に、嶌村は監督付広報となった。
阪神電鉄に入社して9年目。それからは嶌村の辞書から「プライベート」の文字は消えた。必要がなくなったと言ったほうが正しい。