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井上尚弥と同門、大橋会長も太鼓判。
“気弱なアンディ”が世界に近づく。 

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栗田シメイ

栗田シメイShimei Kurita

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photograph byOhhashi Boxing Gym

posted2020/03/02 11:00

井上尚弥と同門、大橋会長も太鼓判。“気弱なアンディ”が世界に近づく。<Number Web> photograph by Ohhashi Boxing Gym

トップランク社と契約した平岡アンディ。4月25日、ジムの先輩にあたる井上尚弥の3団体統一戦のアンダーカードに登場する。

ルーツに対する捉え方が変わった。

 日本ではハーフであることや褐色の肌をからかわれ、いじめに合った経験もある。幼少期に『さんまのからくりテレビ』に出演し、“気弱なアンディ”と全国ネットで流れたこともあり、内気な性格を揶揄されることもあった。

 アメリカでの生活は、自身のルーツに対しての捉え方が変わる契機ともなる。

「僕は純粋な日本人とは違いますが、ボクシングにおいては強みになる部分もあると思えるようになった。昔はそれがコンプレックスだったけど、今ではそれが自分の個性だと捉えてます。いつもリングに上る前には、ブラックミュージックのヒップホップを聞いて、テンションを高めてスイッチを入れ替えるんですよ。彼らが虐げられた歴史やその想いをのせた音楽は、自分にも重なる部分もある。

 そんな潜在的な怒りを引き出すことが、イマジネーションに繋がっている面もあります。これはアメリカに行けたから気づけたことでもある」

 いつしか、練習生の立場は免除され、現地の有名プロモーターからアメリカでの契約のオファーが届くまでにになった。それでも、日本でもう一度ボクシングをしたいという思いから、再び日本へ戻るという選択を行った。

大橋会長「すぐにピンときました」

 2年弱に渡るアメリカ武者修行から帰国した後、20歳となった平岡が訪ねたのは大橋ジムだった。大橋秀行会長は、当時の平岡の印象をこのように表現する。

「技術的に優れており、特に基礎の部分でもほとんど直す部分がないくらいのレベル。これは世界を目指せる、とすぐにピンときました。ただ、メンタル面では課題があり、そこは目についた。これだけの素材が揃うジムの先輩から刺激を受けてか、パワー、スピードも上がったが、何よりメンタルが変わった。正直、足りないものは経験くらいで、経験をつめば手がつけられないボクサーになると思いましたね」
 
 大橋ジム移籍後は9連勝。通算戦績も15戦15勝(10KO)まで伸ばしている。世界ランキング入りを賭けた昨年7月の近藤明広戦では、10日前に発生した肉離れをおしての強行出場。一歩も引かずに打ち合い、大差で判定勝ちを収めている。以前の平岡であれば、見られなかった貪欲で泥臭い一戦だった。オーソドックスなサウスポースタイルで、打たせずに打つ。そんなスタイルにも変化が生まれた。

「昔はポイントを取って勝てれば良かったし、そういうボクシングに終始してきた。でも、やっぱりボクサーは強い相手と戦い、面白い試合をして倒さないと評価されないことも分かってきた。世界から必要とされるのはそういう選手。メイウェザーが好きですが、参考にしているのはロイ・ジョーンズ・ジュニア(ヘビー級4階級制覇の元世界王者)。もちろんプラスアルファでいかに自分の色を出せるかも考えていますよ」

【次ページ】 現在もアルバイト、まだ何者でもない。

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