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井上尚弥と同門、大橋会長も太鼓判。
“気弱なアンディ”が世界に近づく。
posted2020/03/02 11:00
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph by
Ohhashi Boxing Gym
日本チャンピオンですらない青年のラスベガスデビュー戦は、衝撃的なものだった。米・大手プロモーション会社であるトップランクとの契約が発表された11月26日から、わずか4日後のことだ。
右フックでダウンを奪った後は、ラッシュによるレフリーストップで2R・TKO勝ち。
ロヘリオ・カセレスを圧倒した平岡アンディ(23・大橋ジム)は、異例の大抜擢に応える形で、アメリカの地で自身の価値を証明してみせた。トップランク社が見出した“原石”が回顧する。
「正直、結構余裕があったんですよ。プレッシャーも感じなかった。小さい頃から夢だったラスベガスでの試合でしたが、一切舞い上がることもなく、自分でも驚くほど冷静でした。相手のパンチや動きもはっきり見えていた。昔は小さな舞台でも緊張して、思うようなボクシングが出来なかったけど、今は自分のスタイルには自信がある」
その特大のポテンシャルには、所属する大橋秀行会長も太鼓判を押す。
「素材は間違いなく一級品で、今までみたことがないレベル。バネ、身体能力、パンチの撃ち方、全てが日本人離れしている。持っているモノが違う。ピカイチですよ」
数多のトップボクサーを育てた名伯楽は平岡を手放しに絶賛した。一方で多くの世界戦をマッチメークし、井上尚弥や村田諒太ら日本のトップランカーにも注目し始めているトップランク社CEOのボブ・アラム氏は「もっと短いスパンで試合をして、来年の世界戦でチャンピオンに」とその期待を漏らしたという。
父の影響で始めたボクシング。
平岡がボクシングを始めたのは4歳の時。アマチュアボクシング界で鳴らしたガーナ系アメリカ人の父ジャスティス・コジョ氏の影響もあり、自然とグローブが身近にある環境に育った。
日本人である母も、遊びたい盛りの息子に対して敢えて厳しい練習のお目付け役になることもあったという。スパルタで遊ぶ時間もない生活は、楽しさよりも苦しさが勝り、幼少期はボクシングに対して前向きな感情は皆無だった。
「昔はボクシングが嫌で嫌で仕方なかった。当時は妹にボコボコにされるくらい上達が遅かったので。それでも、1日5時間。1日たりとも練習をサボったことがないんですよ」