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高原直泰・独占インタビュー(後編)
「日本サッカーの底辺から見えるもの」
posted2020/02/10 07:05
text by
涌井健策(Number編集部)Kensaku Wakui
photograph by
Nanae Suzuki
「ぬああぁぁー」
男の唸り声がグラウンドに響いた。仰向けでメディシンボールを抱え、上体を起こし、さらに左右にひねりを加えていく。それを数セット。見ているだけで腹筋が悲鳴をあげそうだったが、本人の表情には単純な疲労よりも、肉体と向き合っていることの充実感が浮かぶ。
沖縄県総合運動公園の蹴球場で行われた、沖縄SV(エスファウ)の練習。選手たちは「鳥カゴ」と言われるパス回しを、参加人数やルールを変更して何度も繰り返していた。
視野の広さを確保すること、「次」の展開を読んで動くこと、そして何よりパスの正確性が求められ、それについて何度も声が飛んだ。選手たちは頭を使いながら、走り続けていた。
他の選手よりひとまわりは年齢が上であるその男の肉体は「照り」があるように見え、大腿部はチームの誰よりも太い。単純な走行距離は20歳前後の選手たちに比べればやや落ちるだろうが、状況判断力、足元の技術、そして何より絶対の信頼によって、パス回しでもボールに触れる機会が多い。
年下の選手からも「タカ!」と呼ばれ、笑顔を見せ、時に厳しい叱責を投げかけ、ボールを引き出すためにダッシュを繰り返していた。
全体練習は約2時間。1月とはいえ沖縄の日差しは強く、多くの選手は半袖短パンで、ピッチサイドで見学していてもジャケットを脱いだほどだ。
選手で、社長で、元監督で。
その全体練習を終えた後で、男は自分より遥かに若い選手たちにまざってフィールドの脇で黙々と補強トレーニングに励み、時折苦しそうな声をあげながら、自分の体をいじめていた。
「ぐあああ」
高原直泰、40歳。
「黄金世代」のストライカーは、いまも正真正銘の現役だった。そして、沖縄で燃えていた。
高原は現在、九州サッカーリーグに所属するサッカークラブ、沖縄SVの代表取締役であり、ひとりの選手である。
今季からは監督に、清水東高校時代の同級生で、ジュビロ磐田でもともにプレーしたGKの山本浩正を招聘したが、昨季までの高原は監督も含めた「三足のわらじ」を履いていた。沖縄SVは、高原のクラブなのだ。