草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
「10.8」長嶋茂雄に敗れた高木守道。
7年後の秋につぶやいた、後悔の瞬間。
posted2020/01/29 18:00
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Kyodo News
1月17日未明、選手としても指導者としても中日ドラゴンズ一筋で野球人生を終えた高木守道氏が亡くなった。享年78歳。5日前にラジオ番組に出演し、翌日にゴルフの約束をしていたというから、まさしく急死だった。
2006年に野球殿堂入りしたことでわかるように、その球歴は輝きに満ちている。通算2274安打、369盗塁。打ってよし、走ってよし、守ってよしの希代の名二塁手だった。
通算7年に及んだ監督(代理監督含む)としては383勝379敗25引き分け。2位が3度とシルバーコレクターではあったが、ついにペナントを握ることはできなかった。
最も「ゴールド」に近づいたのは、1994年の「10.8」である。巨人と69勝60敗で並び、最終戦に勝った方が優勝するという正真正銘の決戦に臨み、負けた。
最大10.5ゲーム差、8月には8連敗を喫しながらゴール直前で1度は追いついた功績よりも、この試合に敗れた悲運が語り継がれている。
斎藤雅樹にスイッチした長嶋茂雄。
ときとして、この決戦での采配が批判されてきた。そして、その采配を他ならぬ高木氏自身が悔いた瞬間がある。敗軍の将は何を悔やんだのか。そのことに触れる前に、批判を浴びた継投を説明する。
中日の先発は今中慎二。絶頂期の左腕エースは、決戦の舞台となったホームグラウンドのナゴヤ球場では巨人戦に4年越しの11連勝中と抜群の相性を誇っていた上に、中5日と休養も十分だった。対する巨人は槙原寛己を先発マウンドに送った。こちらは救援登板から中1日。しかも、その試合では手痛い3ランを打たれている。
結果としてこの2人は決戦で打ち込まれた。勝った長嶋茂雄監督と敗れた高木監督との差が顕著に出たのはそこからだ。2回に2点を奪われ、なおもピンチが続いた場面で、巨人は斎藤雅樹にスイッチした。