フランス・フットボール通信BACK NUMBER
同性愛者であることで抹消、逮捕。
あるサッカー審判の地獄と再生。
posted2020/01/30 18:00
text by
ポリーヌ・オマンビイクPauline Omam Biyik
photograph by
France Football
とてもシリアスな話である。同性愛者であることが新聞で報じられ、将来を嘱望されたひとりの若いレフリーの未来が絶たれた。そればかりではない。それを理由に母国チュニジアを追われたニダル・ベラルビの苦しみは、受け入れ先であるフランスでも続いている。
『フランス・フットボール誌』12月17日号でポリーヌ・オマンビイク記者がレポートするのは、『アラブの春』でも救われることのなかった、ひとりのマイノリティの生き方である。
(田村修一)
優秀なレフリーだったのに突然。
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過酷な運命を免れない人生がある。引き裂かれた夢と、砕け散った志。試練に耐え、苦しみにもがきながらも、淡々と生きる人々……。ニダル・ベラルビも、そんな苦難を背負ったひとりである。
だが、まだ29歳(現在は30歳)にすぎないこの若きチュニジア人は、自分が自分であるために必要な力を汲み取る術を心得ている。
父親の独断と国による価値観の押し付け、近親者たちの容赦ない視線と言葉、民衆やメディアの侮蔑的な仕打ち……。ニダル・ベラルビは、数カ月のうちに自らの人生が反転するのを目の当たりにしたのだった。同性愛者であることが脅威として地元の新聞に報じられ、彼はすべてを失った。
もちろんそこには、燦然と輝くはずだったレフリーとしてのキャリアも含まれていた。
チュニジアで最も優秀なレフリーのひとりと見なされ、16歳からピッチに立ち続けていたベラルビは、2013年、「身の安全が保障できない」という理由で、何の前触れもないまま突然降格処分を受け、その後レフリーの登録自体を抹消された。
当時のチュニジアは、時代の転換点を迎えていた。ジャスミン革命から始まったアラブの春は、西洋モダニズムと自由主義への傾倒と、アラブ世界の伝統的な宗教的・文化的価値の併存という新しい波を生み出したのだった。
ベラルビもそれを理解し、肌で感じていた。しかし彼は思い違いをしていた。同性愛者であることを糾弾された彼が、レフリーとして試合に指名されることは二度となかったのである。