フランス・フットボール通信BACK NUMBER
同性愛者であることで抹消、逮捕。
あるサッカー審判の地獄と再生。
text by
ポリーヌ・オマンビイクPauline Omam Biyik
photograph byFrance Football
posted2020/01/30 18:00
ニダル・ベラルビ氏。彼の人生が大きく変わってしまったのは2013年のことだった。
委員長の率直で、残酷な言葉。
「どうしてなのか説明してもらうために、レフリー委員会の委員長に面談を求めた」と、ベラルビは言う。
公式な見解としては、2011年におこなわれたとされる不正がその理由であった。しかし実際には、彼の性的志向が問題であり、委員長の言葉は率直だった。
「ニダル、はっきりさせようじゃないか。あなたが同性愛者であることは誰もが知っている。それではうまくいかない。レフリーのイメージを守らねばならないし、評判を貶めてはならない。中傷される余地を作ってはならないんだ。だが、それがあなたにとっては問題だ。あなたがレフリーを辞めることが、誰にとってもいいことなんだ……」
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主張は明確で、ほとんど恫喝に近かった。議論の余地はなく、彼には何の希望も残されなかった。ほろ苦い思いを今も抱えながら、ベラルビが当時を振り返る。
「とてもショックだったし苛立った。すべての感情がごちゃごちゃになって自分を見失った。クラブも選手たちも僕の能力を正当に評価しているのに、委員会がどうしてそんな仕打ちができるのか理解できなかった。僕はレフリーにすべてを捧げてきた。得たものよりも献身の方がずっと大きかったと思っている。完全に打ちのめされたよ」
逮捕され、3カ月も刑務所に拘束。
その後はさらに酷かった。暴力的ですらあった。2017年、ベラルビは警察に逮捕された。同性愛者であることが罪に問われ、「3カ月と19日の間、刑務所に拘束された」(ベラルビ)のだった。
「刑房には本物の犯罪者たち――人殺しや強盗、強姦の常習者など、重い罰を受けた者たちで溢れていた。まさに地獄だった。僕は殴る蹴るの乱暴を受け、常に侮辱され続けた。強姦もあった。
看守長も模範的な態度をとらず、僕を守ろうとはしなかった。彼にとって僕は『チュニジアの恥』に過ぎなかった。僕が『罰される』のを彼は望んでいた」
耐えがたき状況を彼は耐え、克服不能な事態を克服した。当時は自殺も考えたと告白している。悔しさと未来への不安に苛まれる日々が続いたが、それでもついに光がさした。幾つかの支援団体のサポートにより、刑務所を出ることができたのである。
ただし、「チュニジア国外に退去する」というのが条件であった。
2018年5月18日、ベラルビは政治的避難を保障されてフランスへと旅立った。