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早稲田大→慶応大ラグビー部コーチ。
なぜ三井大祐は異例の道を歩んだか。

posted2019/12/20 15:00

 
早稲田大→慶応大ラグビー部コーチ。なぜ三井大祐は異例の道を歩んだか。<Number Web> photograph by Masashi Oda

早稲田ラグビーで育ち、慶応ラグビーをコーチングする三井大祐。彼のようなキャリアを歩む人は珍しいだろう。

text by

清水岳志

清水岳志Takeshi Shimizu

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Masashi Oda

 ラグビーの早稲田大対慶応大の対抗戦、「ラグビー早慶戦」は晴天の特異日といわれる11月23日に行われる(2019年度は雨だったが)。今年で96回を数え、日本最古のひとつといっていいラグビーの対抗戦だ。

 そんな伝統を競う良きライバルの両校の間で異例の出来事があった。

 昨年、早稲田のコーチだった三井大祐(35歳)が、今年から慶応のコーチに就任したのだ。「百年ぐらい前にそういうことがあったようです」(三井)という稀有な事だった。三井は早慶戦で慶応のウォーターパーソンを務め、ゲーム中、グラウンドで選手を見守った。

 三井はもちろん、早稲田ラグビー部OBである。ラグビーを始める前の小学生の頃の記憶があるという。

「早明戦をNHKのテレビで見ていました。当時、明治が体が大きくて強かった。下馬評では明治なんですが、最後は弱いと言われた早稲田が勝っちゃうのが好きでしたね。負けても心動かされました」

 中学からラグビーを始め、高校は大阪の名門、啓光学園(現常翔啓光学園)に進学。2、3年生で花園で優勝した。早稲田の自己推薦にチャレンジし、見事に入学を果たす。ラグビー部は清宮克幸氏(現ラグビー協会副会長)が監督を務め、大学ラグビー界を関東学院大とリードしていた頃だ。

後輩の五郎丸、畠山からも……。

 同学年のスクラムハーフに矢富勇毅(現ヤマハ発動機)がいて、レギュラーになれなかった。当時の中竹竜二監督から、「留年してもう1年、やらないか」と声をかけられた。そして1つ下の学年の五郎丸歩(現ヤマハ発動機)、畠山健介(元サントリーなど)らも「一緒にやりましょうよ」と言ってくれた。

「嬉しかった。チャンスをもらえるのも限られた者。運命なのかなと思いました」

 4年の時は準優勝だったが、5年で学生チャンピオンになる。

 そして卒業後はトップリーグでのレギュラーを目指す。東芝を選んだのも挑戦だった。

「早稲田から東芝に進んだのも久しぶりでした。キャプテンだった冨岡(鉄平)さんのにじみ出る男らしさ、表情に憧れた。東芝3連覇で勝ちまくっていた文化は何があるのか知りたかった」

【次ページ】 ニュージーランドにコーチ留学。

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