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2度目の五輪を目指す人と馬の物語。
中田晴香オーナーとエジスター。
posted2019/11/29 11:15
text by
カジリョウスケRyosuke Kaji
photograph by
Ryosuke KAJI
かの英首相・ウインストン・チャーチルは「ダービー馬のオーナーになることは一国の宰相になることより難しい」と語ったとされる。競馬界の権威と栄誉を物語るあまりにも有名なエピソードだ。
馬術競技も競馬と同様である。
オリンピック、世界選手権、ヨーロッパ選手権、アーヘンやメッケレンといった格式高い大会を制すことはもちろん、出場することだけでも大変な名誉であり、特にそのオーナーには深甚なる敬意が払われる。
そのため競技馬の取引価格は億単位となることも珍しくはなく、それらに出場するような競技馬を所有することはオーナーたちが目指すところでもある。競技馬のオーナーになることも容易なことではない。
2019年11月、全日本馬場馬術選手権を「エジスター」という馬が制した。
彼は原田喜市選手とともに2016年のリオデジャネイロオリンピック、2018年のトライオン世界選手権に出場した日本の馬場馬術界を代表する競技馬だ。
オーナーは中田晴香氏。自身も全日本や国体に出場経験のあるライダーでまだ26歳の若者である。今回は彼女と愛馬であるオマハとエジスターとの出会いとその軌跡を紹介したい。
最初の愛馬、オマハとの出会い。
晴香は馬術と縁のある環境で育ったわけではなかった。
通うことになった学校のすぐ隣に乗馬クラブがあり、それをきっかけに馬に乗り始めた。13歳の時に最初の転機が訪れる。「蒜山に原田喜市さんという有名な選手が運営しているところがある。そこでしっかりと学びなさい」という母の助言だった。
蒜山ホースパークの代表である原田喜市は1972年生まれの46歳。17歳で山形から大阪に出て、長らく名門の杉谷乗馬クラブで修行を重ねた。
その後、岡山県の国体強化選手に誘われ、全日本馬場馬術選手権を10度も制した故・中俣修氏に教えを乞い、2004年の埼玉国体、2005年の岡山国体で優勝する。恩師と死別後は、蒜山ホースパークを立ち上げてトレーニングを続けていた。
晴香はそこで家族のように迎え入れられ、原田家の一員として多くの時間を過ごす。原田夫妻のことを「父母がそれぞれ2人いるような感じです」と話すほど慕っている。喜市の子供であり、ジュニア世代で活躍する実和・昂治姉弟にとっては姉のような存在になっている。