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2度目の五輪を目指す人と馬の物語。
中田晴香オーナーとエジスター。
text by
カジリョウスケRyosuke Kaji
photograph byRyosuke KAJI
posted2019/11/29 11:15
中田晴香オーナーは、最初の出会いからエジスターに特別なものを感じたという。
愛馬の購入にあたって母がくれた助言。
晴香は全日本ジュニア馬場馬術大会を2度経験した後、最初の愛馬のオマハと出会った。
実はその時、もう1頭の候補がいた。その馬はオランダ代表のエドワード・ガル選手のパートナーで、のちに世界選手権、ヨーロッパ選手権を制した名馬トティラスの弟だった。
血統的に考えても、日本に来ていれば成功を収めたであろうことは想像に難くない。まだトティラスが無名の時代だったため価格的にも当時は手が届いた。
しかし、母はここでも重要な助言をする。ともに長く競技生活を送ることができそうなパートナーをと、トティラスの弟ではなくオマハを薦めたのだ。
「もしトティラスの弟を買っていたら、全日本ジュニアで上位争いをしていたかもしれない。当時は母の選択に『なんで?』と思ったこともあったが、今なら母の言いたかったことがなんとなくわかる。
活躍をすることよりも競技に長く携わっていくことを伝えたかったのだと思う。馬の力で成績を残してしまい自分の実力以上に一度注目を集めてしまうと、成績を残すことのプレッシャーに潰されていたかもしれない。結果的に同世代の選手たちが競技から離れていく中でも今も乗り続けられている」
晴香はこの後オマハとともに2012-2014年の全日本ヤングライダー選手権に出場。2014年には決勝に進出し、9位という成績を残す。
跨った瞬間に「この馬だ」。
2014年、晴香はジュニア世代最後となる年に向け、喜市とともに新たなパートナーを求めてヨーロッパへ渡った。
ある厩舎を見学した時、自身のレベルに見合う馬をひととおり紹介されたあと、最後にどうせ買わないだろうけどという態度で「ウチにはこんな馬もいるけどね」とある馬を紹介された。それがエジスターだった。
晴香はエジスターに跨り少し歩いただけで直感的に「この馬だ!」と、思ったという。この時点で決意を固めていた晴香に、喜市は言った。「お前にはこの馬は乗れん。無理や。考え直せ」と。
案の定、現地のテストライドでも上手く乗れなかった。しかし、晴香は断固としてエジスターを譲らなかった。エジスターでなければ馬術をやめるとまで言った。その滞在中に話はまとまらないまま帰国した。